No.488
『写真で見るタジキスタン・ドゥシャンベ 3 そしてモスクワへ』
【弾き語りばったり #19 今ここでエンジンさえ掛かれば】は、12月18日(木)の札幌公演をもって、年内のスケジュールが終了しました。観にきていただけた皆さま、ありがとうございました。札幌は前日からの吹雪の影響により、観にきていただけなくなってしまった方々もいらっしゃったようで、それはとても心苦しいところですが、3月にもやりますので、もしよろしければお越しください。
さて、4月の旅行記も終盤、タジキスタン・ドゥシャンベでの最終日。そしてモスクワへ向かいます。
Photo Albumを開いて該当番号をクソックしながら見ていただきますが、例によって写真上のチリやホコリは、私のカメラ自体の問題なので気にしないでください。では、どうぞ。
【Photo Album】
4月24日(木) 09:00起床。昨日の午後、オフィシャルTシャツを探しに訪れた【Moscow State University】で話しかけた学生くんのひとりが、私にTシャツをプレゼントしてくれるということになったので、なにかお礼の品を持ってくべきだ、と思ったんですが、タジキスタン人がよろこびそうな日本グッズなど持っているわけもなく、せめて自分のCDでも持ってきてればよかったんですが、それもなく。いろいろ考えて、私のネクタイをお礼に渡すことにしました。あくまで気持ちですから、相手にとってはなんでもないネクタイかもしれませんが、私にとっては、昨日『加トしゃんベ』の撮影時に締めていた、思い出深いネクタイです。
11:30昨日の約束どおりに、【Moscow State University】に歩いてやってきました。少し遅れて、昨日の学生くん2人が現れました。Tシャツをプレゼントしてくれるという学生くんが「今、持ってきますので待ってください」と校舎内に入っていきます。きっと昨日洗濯して、校舎内のどこかに干していたのでしょう。その間に、昨日最初に英語で会話をした学生くんと話していると、ここ【Moscow State University】は、ロシアにある【モスクワ大学】のドゥシャンベ校だそうで、学生数は少ないですが、ドゥシャンベではレベルの高い大学のようです。「私は世界中の大学のTシャツを集めていて、モスクワ大学のも持っていますよ。」というと、「あぁ、それはいいですね」とあまり興味はなさそうでしたが、ま、そりゃそうでしょう。
数分後、Tシャツを持って学生くんがやってきて、プレゼントしてくれました。青いTシャツの胸にはキリル文字で【M.B.ロマノソフ記念 モスクワ大学 ドゥシャンベ校】と、背中には力強く【国家と地方自治体の運営】と書かれています。いいでしょ〜、コレ。なんでもかんでもカネに替えようとするアメリカには、じぇったいにありえないTシャツです。これは私のコレクションの中でも最も貴重な1枚です。ちなみにロシア語でTシャツは「футболка/フットボールカ」と言います。“サッカー着”ってことなんでしょうかね。(01, 02)
Tシャツをプレゼントしてくれたのはウスモン・ラティフゾダくん。最初に英語で話したのはミェフロジ・ハキミくん。お礼の言葉をできるだけ多く言って、ネクタイを渡しました。メールアドレスを交換し、握手をして別れました。Facebookでは一応繋がってはいますが、メッセージを1往復しただけで、その後やりとりはしていません。このコラム掲載を機にメールしてみようと思います。(03)
『加トしゃんベ』も良いのが撮れた感触ですし、とても感動的にTシャツも手にし、ドゥシャンベ大満足です。というわけで、最後のランチを探しに、昨日タクシーで通った時になんとなくレストランっぽいところがあったので、その方向に歩いてみます。
大学正門近くの交差点には、ちょっと古めの円形の建物があり、映画館が劇場かな、と思ったら、どうやら銀行のようです。そこから東に少し歩くと小学校らしきがあり、その先には【Десткий Парк/ヅェツキー・パルク】。訳すと“児童公園”です。(04〜06)
よく考えるとゆっくり時間があるわけではないので公園の中には入らず、角を南に折れると、昨日なんとなく見ていたお店がありました。レストランのようなので入ってみます。(07)
お昼時ですが店内に先客はなく、「こっちいいですか?」というイメージで表のテーブルを指差すと、「どうぞ」的な感じだったので座ります。ここもメニューは手書きの筆記体でしたが、ガイドブックに載っていた【шурва/ショルヴァ】があったので、それを注文しました。
【шурва/ショルヴァ】は中央アジアの家庭料理のようです。単語の綴りからすると、たぶん英語の【soup】と同語源ではないかと思われます。小ぶりのお椀にじっくり煮込まれて骨付き牛肉・玉ねぎ・じゃがいも・トマトなどが入っています。たいへんおいしゅうございました。(08, 09)
はい、というわけで、今回の旅行の最大の目的地であるタジキスタン・ドゥシャンベはこれでおしまい。ホテルに戻って荷物をまとめて、夕方の便でモスクワへ飛びます。・・・が、ここからが長かった。
14:00にチェックアウトしてタクシーでドゥシャンベ国際空港へ。ここで初めてメーターのあるタクシーに乗りました。22ソモニ。小さい建物はとても混雑していて、私の乗るUT802便のチェックインカウンターにも長い行列、というか人だかりができています。
空港の従業員らしき男性が「あんたはあっちだよ」的なジェスチャーをしたので、その方向へ行くと、どうやら外国人用のカウンターのようで、そこに数分並んでチェックイン。と、ここまではよかったんですが、このあとの手荷物検査場がまたもすごい人だかり。女性と男性のレーンが別れていますが、外国人用はなく、また“列に並ぶ”という発想がないようで、とにかくグイグイ押したもん勝ちの状態で手荷物チェックが行われ、私のようなスモール・ジャパニーズは多少がんばったところでなかなか前に進めません。しかもひとりひとりチェックにやたらと時間がかかっているようです。イスラム風の帽子を被った老紳士が、「いいから、どんどん前に行け」と優しい笑顔で促してくれたこともあって、私なりにがんばってグイグイ押して、やっとこさ手荷物検査を終了。それでも30分以上はかかったと思います。早めに来といて良かったです。
出国審査は外国人用があったのでスムーズに通過。出発ロビーに入ると、狭いところにすごい人で、座る場所もありません。うわぁ、これは満席どころじゃないんじゃないか、って感じです。ここでうろうろしながら1時間ほど待ちますが、出発時刻の15分前になっても、まだ搭乗口の案内が表示されません。出発時刻16:30になったあたりでやっと航空会社の従業員がやって来て、座っていた人たちが一気にゲートに詰め寄って人だかりができ、その5分後にやっとアナウンスが流れる、みたいな感じです。
というわけで、飛行機に乗り込みましたが、案の定ぎっしり満席。私の座る窓側とその隣の席にはすでに顔の濃ゆいタジク人青年が座っていたので、チケットを見せると、「通路側にどうぞ」的な素振りをしたので、「Нет/いいえ」と断り、ふたりを跨いで窓側へ入りました。シートピッチも日本の航空会社よりは明らかに狭く、スチュワーデスさんもなぜか完全に上から目線です。私が「Blanket, please」と言うと、「シュシューッ」と手で飛行機が上昇するジェスチャーをして、あっちへ行ってしまいました。おそらく「ブランケット? そんなの離陸した後に決まってるでしょ」みたいなニュアンスだと思います。それを見た隣のタジク人ふたりは、「スチュワーデスさんに毛布を頼むなんて、この人、すげぇ」みたいな、羨望のまなざしで私を見ています。ふぅぅ・・・、これは長い4時間半になりそうです。(10)
そんなわけで定刻よりいくらか遅れてドゥシャンベを離陸。ブランケットももらい、晩食はモスクワについてからゆっくり、と思っていたので、機内食にはほとんど手を付けずに、20:00、モスクワ・ヴヌカヴァ空港に着陸しました。いやぁ、あまり経験したことのない長く窮屈なフライトでした。しかし、困難は更に続きます。
ヴヌカヴァ空港はモスクワで最も古い空港ですが、現在の規模としては3番手。国内線と近隣の旧ソ連諸国の路線が多いようです。
で、入国審査ですが、ここがまた人だかり。“並ぶ”という発想がないのです。ドゥシャンベ空港の出国審査とは違い、ここに着くほとんどの乗客が“外国人”なわけですから、タジク人も日本人も同じところで押し合わなければなりません。ご想像どおりに、気がつきゃ私は群の最後尾。そこへ別の便が着いたようで、ダッ〜っと押し寄せて着た別の乗客で人だかりがさらに倍になります。
この状況を見かねた入国審査員の女性がボックスから出てきて、「並んでください!」と怒鳴りつけます。その時だけはみな一旦並ぶフリをしますが、審査が再開されるとじわじわと押し合い状態に戻り、気がつきゃ私はやはり最後尾です。この状態が3度繰り返され、入国審査員の女性はついにブチ切れ出てきて、大声でなにかを怒鳴った後、入国審査のシャッターをガラガラと締めてしまいました。
うっそでぇ〜!? こんなの初めて見ましたよ。トルクメニススタンのアシュカバッドもベラルーシのミンスクも、入国にかなりの時間がかかりましたが、シャッターガラガラは初めてです。
タジク人のみなさんは、混乱することもなくおとなしく待っています。よくあることなのでしょうか。むしろ「オレらちょっとやりすぎたかな」と反省しているようにも見えます。しばらくして、今度は男性の従業員が出てきて、みんんなに何かを言ってシャッターが上がり、入国審査が再開されました。
それでもやはり、気がつきゃ押し合い、気がつきゃ私は最後尾です。もう、あきらめました。
ってことで、ほんと最後の数人になってやっと入国審査を通過。そして、とっくに出てきているトランクを取ったら、今度は手荷物の審査です。どこの国でも申告なしは“GREEN CHANNEL”を通過すれば良いだけですが、どうやらすべての荷物をチェックしているようで、またも人だかりです。おそらく、いわゆる出かせぎのみなさんと思われる人が多く、申告すべきをしないで通過しようとする例が多いのかもしれません。うえぇぇぇ、またかよ〜、・・とゲンナリしていたところへ、係員がやって来て、私を誘導してくれて、押し合うことなく先に通過させてくれました。明らかに旅行者だと判断されたのでしょう。たすかりました。
そんなこんなでやっと到着ロビーに出れたのは22:15。飛行機を降りてからもう2時間以上も経っていました。マジへとへとです。
さぁ、タクシーを探しますが、エアポータクシーのカウンターはあるものの、とっくに閉まっちゃったよ的に電気が消えて人もいません。なにしろ両替しなきゃですが、両替所どころかATMも見当たりません。警備員らしき人に、「Где банкомат ?/ATMはどこですか?」と聞くと、「Телминал А/ターミナルAです」と、一旦外に出てあっち、的なジェスチャーをしたので、一旦建物の外に出て、トランクを引きながらターミナルAに入り、ATMでロシア・ルーブルをおろしてタクシー乗り場へ。ホテル名を告げて料金を聞くと、2,700ルーブル。えぇぇ〜、高くなぁ〜い? まぁ、もういいです。ここからタクシーの乗る以外に手段はないのですから。というわけで、走ること約40分。【Президент Отель/プレジデント・ホテル】に着いたのは23:15でした。
このホテルは2011年以来2度目で、部屋の感じもわかっているので安心です。フロントで名前を告げてチェックインしようとすると、「Mr. Kimura、あなたの部屋はまだ準備ができていません」とのこと。「はぁ?」と思い、「いいえいえ予約はしてありますよ」とバウチャーを出そうとしていると、「予約はだいじょぶです。ただまだ部屋の準備ができていません。30分ほどお待ちください。」とのこと。そりゃないぜベイビー、23時過ぎに準備がまだはないんぢゃないのぉ。でも、フロントのお嬢さんが真っ白でとってもかわいかったので、がんばって紳士気取りを持ち直し、「では、そこのBARで待っています。」ということにして、トランクを預けました。
もう今日は仕方ない。この時間から街に出る元気はなく、ホテル内のBARでピザでも食べてゆっくりワインでも飲んで、部屋に入ってシャワー浴びて寝ることにします。ってことで【Бар АВРОРА/バー・オーロラ】のゆったりソファ席にすわってメニューを見ていると、ウェイターくんが「Sorry, kitchen closed」と言いに来ました。「はぁ!? キッチンクローズ?」と悲しい表情で訴えると、「23時で食事は終わりです」的なことを言いました。はらほれひれはれ〜、もうダメですね、今日は、とことんダメ。「なにか食べるものは?」と聞くと、「ナッツとポテトチップ」と言うので、「じゃぁ両方」ってことにしてビールと赤ワインを頼みました。これがこの日の晩ごはん。出されたミックスナッツをきれいに全部食べたのって初めてかもしれません。というわけで、軽く酔っぱらってやっと1117号室に入り、シャワーを浴びて寝ました。
はい、こうしてインド→カザフスタン→タジキスタンの旅は終わりました。モスクワにはこの夜を含めて3泊しますが、もう8度目ですし、特になにをするでもなく、旅の余韻を楽しみながら、消耗しきった体力をゆっくり戻す。そんなモスクワです。
とはいえ、せっかくなので次回もう1回、モスクワでの写真をざっとまとめて見ていただこうと思いますので、御興味をお持ちの方はおつきあいください。
もうすぐ、来年のクリスマスですね。
2014/12/22
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