No.487
『写真で見るタジキスタン・ドゥシャンベ 2』
またまた日が空いてしまいましたが、4月の旅行記も御興味をお持ちいただける方にとっては佳境に入ってまいりました。今回はこの旅行のメインの目的地であるタジキスタンの首都・ドゥシャンベの3日目。単独で街を歩きます。
Photo Albumを開いて該当番号をクソックしながら見ていただきますが、例によって写真上のチリやホコリ、また、ときおり入っているライトブルーなラインは、私のカメラ自体の問題なので気にしないでください。では、どうぞ。
【Photo Album】
4月23日(水) 09:00起床、今日も良い天気です。なにしろこの旅行の最も重要な目的である『加トしゃんベ』を、未だ撮れた感触のないまま帰るわけには行きません。地図とガイドブックを見ながら、ふと、「駅だ!」と思い立ちます。駅に行けば、必ずや【Душанбе】と大きく掲げられているはずです。そうだ、駅だよ、駅。昨日、私もガイドさんもドライバーさんもなぜそのことに気づかなかったのでしょうか。ま、とにかく駅に行くことにします。
11:30、ホテルのフロントの女性に、「ドゥシャンベ駅に行くには、何番のバスに乗れば良いですか?」と訊ねると「3番か8番ですが、バスは時間がかかるので、同じ番号のタクシーに乗ると良いでしょう。バスは1ソモニ、タクシーは3ソモニです。」と教えてくれました。タジキスタンの通貨は「ソモニ」で、1ソモニ=約25円くらい、だったと思います。(01)
「同じ番号のタクシー」というのがちょっとひっかかりましたが、ま、とにかく市バスに乗ってみることにします。
ホテルから歩いて数分、ルダキ大通りの停留所にやってきました。すると、ダッシュボードに番号札を掲げた乗用車が何台も停まり、ふつうにお客さんを乗せています。間もなく、私の乗るべき8番のバスがやって来たので乗り込みます。(02, 03)
車掌さんらしき私服のおじさんが、たぶん行き先を叫びながらお客さんから料金を受け取っています。「Душанбе вокзал ?/ドゥシャンベ駅?」と聞くと、無言でうなずいたので1ソモニを払って乗りこみました。ホテルの売店で買った地図と外の景色とを真剣に見合わせながら5分ほど進み、アイニー広場の交差点を駅のほうに右折するかと思いきやまっすぐ通過したので、あわてて次で降りました。
降りた停留所でも、番号付きの乗用車が停まって、お客さんがふつうに乗り降りしています。この時点での私の推測ですが、番号を掲げた乗用車は、同じ番号のバスと同じルートを通って、停留所でのみ乗り降りできる、ってことではないかと思います。値段は3倍ですが確実に速い、ってことなのでしょうか。今日、どこかのタイミングで乗ってみようと思います。(04)
アイニー広場の交差点にもどり、駅に続く歩道を進むと、駅の建物が見えてきました。(05, 06)
目の前に広がったドゥシャンベ駅には、期待どおりに大きなキリル文字で【Душанбе】と掲げられています。完璧です。ここです。ここで『加トしゃんベ』を撮らずにどこで撮れというのでしょうか。(07)
ベストポジションを決定し、三脚にカメラをセットして、セルフタイマーで撮影を敢行。はげヅラとチョビひげをつけてひとりで写真を撮る私を通行人がどう思おうかなんて、そんなこたぁどうだっていいのです。ここで『加トしゃんベ』を撮らずに日本に帰ることはできないのです。何度も言いますが、フィルムでの撮影なので、帰国後現像しないことには、その出来はわかりません。というわけで、10枚ほど撮りました。「よし、撮れた!」という感触がいくつかありました。コラムNo.465にもすでに掲載しているベストショットは、いちばん最後に撮ったものです。(08)
さぁ、これでこの旅行の大きな目的を果たしました。とても清々しい気分です。あとは、大学オフィシャルTシャツですか。せっかくの駅なので、元鉄道マニアとしてはちゃんとホームや線路も見ておかなければ、ということで駅構内に入りました。真っ昼間だというのに駅舎内にひと気はなくガランとしています。ウズベク・トルクメンなどの隣国を結ぶ国際鉄道でありながら、プラットホームはひとつだけというシンプルな駅です。貨物車輌が多く停まっていました。(09)
12:30、そろそろお昼を食べることにしますが、ガイドブックには、昨日お昼を食べた【Чайхона Рохат/チャイハナ・ラハト】が唯一それも1行書かれているだけで、それ以外にレストランに関する記述はありませんので、歩いて探すしかありません。昨日、ガイドさんが「オペラ劇場の近くにレストランがいくつかある」的なことを言っていたので、とりあえずそこを目指して、駅前のロータリーから市バスに乗り、オペラ劇場が見えたところで降りました。(10, 11)
劇場のすぐ左の通りにレストランはありますが、ピザ・ハンバーガー・ケバブなどのファーストフードっぽい店だったのでやめて、となりにキオスクがあったので、とりえあず『ロックボンソワ』のおみやげのトランプを買っときました。(12)
大通りを劇場の反対側に渡ってしばらく歩いてみると、おっ、ありました、ありました。なんの変哲もない街の食堂っぽい佇まい。いい感じです。店先でおやじさんがプロフを炒めています。迷わずコレでしょう。テラス席はいっぱいだったので、店内に入りました。(13, 14)
ちょうどランチタイムだからでしょうか、バシッとスーツを着たエリートサラリーマン風のみなさんでほぼ満席です。シャシリク、ラグマンと同様に、中央アジアで広く食べられている「プロフ」。その響きどおりに「ピラフ」のようなものです。思えば、ヨーロッパでは「Pilaff」という語は目にしたことがありません。ってことは、トルコ以西、アジアの料理名なんでしょうか。ここのプロフは人参と木の実とレーズンがたっぷり、羊らしき肉も少し入って、ラディッシュらしきものの千切りが添えられていました。お茶と合せて17ソモニ=420円くらいでしょう。たいへんおいしゅうございました。(15)
はぁ〜、食った食ったいなかおっぱい。ってことで、再びオペラ劇場前から市バスに乗り、昨日も通ったルダキ公園付近でなんとなく降りて、国会議事堂・農業省・市庁舎など写真を撮りながら、そのつど地図を見るうちに、【Moscow State University】というのを見つけちゃった以上、行くべきです。(16〜18)
ホテルからルダキ大通りを挟んで5分くらいのところに【Moscow State University】はありました。小さな鉄の門を入り、校舎の中を伺いましたが、金属探知機があり警備員がいたので入れそうにありません。入口前には何人もの学生がいたので、ひとりの学生くんに「Здравствуйте, можно говорить по английский язык ?/こんにちは、英語で話して良いですか?」と声をかけると、「えぇっと、えぇっと」って感じで、別の友達をひっぱってきました。その友達に「私は大学のTシャツを探していますが、この大学にはありますか?」と訊ねると、まわりにいた数人の学生に聞いてくれましたが、どうやらないようです。すると、最初に声をかけた学生くんが、「Tシャツはありますが、買うことはできないので、私が持っているものをプレゼントします。」と言ってくれました。「おぉ、ホントに!? それはありがたい」ということになり、「明日、ここに来れますか?」というので、「もちろん」と答えると、「では、明日の11:30にここで」ということになり、握手をして別れました。
いやぁ〜、いい街じゃないですか、ドゥシャンベ。着いた夜の私の怯えはなんだったんでしょうか。すっかり気分を良くして、一旦ホテルに戻りました。
15:00、再び散策に出ます。やっぱりバスですが、今度は昼間とは反対側、北のほうに意味もなく行ってみます。やって来たバスのサイドミラーが停留所の鉄パイプにバキバキバキと当たって割れたりしましたが、さほど問題ではないようです。そんなこともありながらなんとなく5分くらい乗って、なんとなく降りて、写真を撮りながら歩きますが、これといってなにがあったわけではありません。(19〜22)
旅行準備段階で宿泊候補に挙げていたホテル【Гостиница Авесто/ホテル・アヴィスタ】がありましたが、なんだか外から見ただけでも、暗く不気味な雰囲気で、ここにしなくてよかったです。しかし、ホテルの庭にオープンテラスのレストランがあり、それはそれで少し興味がわきました。再びバスに乗り、愛妻へのおみやげなど買って、ホテルに戻りました。(23, 24)
19:00、さて晩食に出かけます。ホテルのフロントでタジク料理のレストランを訊いてみると、フロントの女性とそこにいた運転手さんらしき男性が話し合い、【Хоциен/ホーツィェン】というお店を、ボールペンで私の地図上に印してくれました。男性に「Tajikistan Food ?」と訊くと、「Off course, Tajikistan, very good !」とのことでしたので、ホテル前から白タクに乗って行きました。15ソモニ。
レストラン【Хоциен/ホーツィェン】の店内に入り、セミオープンスペースの大きなテーブル案内されてメニューを見ましたが、「пиво/ビール」の文字が見当たりません。まぁ、あんだろう、と思って店員さんに「У вас есть пиво ?/ビールはありますか?」と訊くと、「Нет пиво, нет алкоголь/ビールはない、アルコールはない」と言うではありませんか。えぇぇ!? あ、でもそうか、そうだ、ちゃんとしたイスラム教の店なんですね。そういや、トルコにもお酒のないレストランがありました。「Извините, я хочу пить пиво./すいません、私はビールが飲みたい。」と言って、お店を出ました。
さて、どうするか・・・。あ、そうだ、夕方見た【Гостиница Авесто/ホテル・アヴィスタ】の庭のオープンレストランに行こう。ということで、白タクに乗り、やって来ました。20ソモニ。(25)
夕方見た時は、まだ明るかったんで、気持ち良さそうな感じだったんですが、う〜ん、どうでしょう。ハッキリ申し上げて真っ暗です。ホテルの庭なのに真っ暗。ってゆうか、ホテルの建物自体も数部屋の灯りがついているだけで、ライトアップとかそんなもんはありません。4卓あるテーブルには、かろうじて男性客がひとりだけいましたが、調理場の電球と表通りの街灯の光が以外、基本は真っ暗です。正直、まいったなぁ〜とは思いましたが、ここからまたレストランを探すのもなんだし、まぁいいや、ということにして、マダムに「У вас есть пиво ?/ビールはありますか?」と訊くと「Конечно/もちろん」とのことだったので、メニューを見て、ビールと牛肉のシシカバブを注文しました。
ビールを持ってきたマダムに「手を洗いたい」とジェスチャーすると、紙ナプキンを持ってきたので、水道で手を洗うジェスチャーをすると、「あぁ〜」という感じで、調理場の裏の建物の中の水道を使わせてくれました。傍らで、従業員らしき青年が小さい絨毯に跪き額をつけてお祈りをしていました。
目の前で焼かれた牛肉のシシカバブとロシアのビール2杯で33ソモニ。たいへんおいしゅうございました。真っ暗でしたけど。(26, 27)
ホテルに戻りますが、そう言えばあの番号付きの乗用車に乗ってなかったので、乗ることにします。バスの停留所で待っていると、どうやらライトをパッシングしてくる車が乗車可能=席が空いている、ということのようです。手を挙げると3番の車が停まったので、「Гостиница Точикистон/ホテル・タジキスタン」というと、運転手が「乗って」というジェスチャーしたので、後部座席に乗り込み、3ソモニを支払いました。
いわゆる“白タク”ともちょっと違う、番号付きタクシーのシステムは予想どおりで、ホテルの前ではなく、ホテルの最寄りのバスの停留所で降りました。
私の隣にはイスラム教のベールをかぶった女性が乗っていました。この番号タクシーが合法なのか否かはわかりませんが、夜に女性がひとりで乗ってるわけですから、なんら問題ない市民の交通手段ってことなんでしょう。
22:00、ホテルに戻り、今日もBARでしめの赤ワイン。昨日もいた男性と少し会話をして、部屋に戻りました。
テレビでは、ラフマン大統領の演説が流れていました。場所は夕方通った【Кохи Вахдат/ヴァフダット・パレス】のようです。(28)
話が昨日に戻りますが、ガイドのムザファさんの話では、ラフマン大統領は、この7年間で、街中の公園を整備して、新しい博物館やすごい高さの国旗掲揚塔を建て、大きな病院をいくつも作り、市民の生活を豊かにしてくれている素晴らしい大統領だ、と言っていました。
ムザファさんに「ソ連時代については、あなたはどう考えていますか?」と聞き、その答えを私の解釈で要約すると、「ソ連時代については人によっていろいろな考え方がありますが、私はソ連に感謝しています。ドゥシャンベに限らず、ソ連に属した国は、その時代に近代的な都市ができた。ソ連に属した時代がなければ、私たちはまだ100年前と同じ生活をしているでしょう。例えば、アフガニスタンのように。」というものでした。ふぅ〜ん。まぁ、感覚的に理解しようがないことですが、たいへんに興味深い話でした。
はい、というわけで、ドゥシャンベでの3日目はおしまい。次回は、ドゥシャンベでの4日目。夕方の便でモスクワに飛びます。
2014/12/10
|