記念すべき初ライブは今は無き「渋谷 LIVE INN」、初のホールコンサートは日本青年館。この頃から“踊りたい”という意識を強く持っていたものの、状況が揃わなければ何もできないタイプだったため、ひたすらピアノを叩き、ふざけたMCで雰囲気を作るに留まる、基本的にはまだまだ安全なステージングであった。そんな中、セカンドアルバムのタイトル曲『NO-NO-YESMAN』の間奏部分のライブアレンジは回を重ねる毎に着実に内容がエスカレートし、89年には「宝焼酎」「鉄骨飲料」などCMパロディなどが折り込まれ始めた。 |