99年4月、97年のツアーに参加したバイオリニスト・早稲田桜子と結婚。基本“飲んだくれ”だった生活パターンが改善された。直後、前年訪れたモスクワで旧共産国の独特の雰囲気に強い影響を受けて制作され、私のアルバムの中でもっともロックな作品となった『KREMLINMAN』を発表。コンサートツアーでは“結婚した”という理由だけで自ら基本デザインしたウェディングドレスを集団で着用し、ハードロックナンバーを一方的に演奏、観客をグッタリのズンドコに追い詰めた。秋には11年間担当した札幌STVラジオの『アタックヤング』を降番。同局で新たなレギュラー番組『KANのスーパーミュージック』がスタートした。同時に大阪・関西テレビでは深夜の音楽番組『free beat』のメインパーソナリティを“ちわきまゆみ”らと担当、2000年1月にはなぜかハワイロケに行った。春からは福岡・テレビ西日本の深夜音楽番組『星の種』をF・King・TOGGYらと担当。出身地ということもあってか秋からは番組の企画、構成、編集にまで熱を入れ、毎週2〜3日を福岡で過ごした。97年から受験し続けている日本イタリア語検定3級試験は通算6度目の不合格の後フェイドアウト。2000年はコンサートツアー、アルバム発表ともになかったが、フランス移住を決意した2001年は再び、春にホールでのコンサートツアー、9月に13作目『Gleam & Squeeze』発表後はライブハウスツアーを開催した。 |