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Friday Column

No.172

『スットボケへの転機 〜杉山二郎との出会い〜』

さぁ、久しぶりに今週はこれといって書くことがないんですが、ここ一週間の私は何をやってたんでしょうか。たのまれモノで書いた女の子の曲のデモ録音に4日くらいかかったりして、それから先週末は築地本願寺でのライブ。観に来てくださった皆さま、ありがとうございました。いやぁ、なんとも微妙な空間でしたね。ま、私的にはどういう状況であろうが自分の曲をキッチリ演奏して皆さまにお聴きいただく、やるべきことはそれだけですし、そういう意味ではちゃんとやれたんじゃないかと思いますし、なにしろあの荘厳な本堂で演奏できたというのは素晴らしく貴重な経験でした。

そんな先週のこのページでは、私の目指すべき“スーパー・スットボケ・ジェントルマン(SSG)”三谷幸喜さんにお会いした話を書きました。そんな流れで今週は、なぜどのように私が“スットボケ”になっていったか、そんなことでこのページをなんとか埋めてみたいと思います。

幼稚園・小学校・中学校までの私の基本的性質は“ハシャギ”でした。なんかのキッカケでわぁわぁと騒ぎ出し、それにより授業が中断するようなこともたまにはあったでしょう。今思い返しても、真剣に勉強したい人や先生方にとってはジャマで困ったガキだったんでしょうが、私は決して悪いこととは思いませんし、むしろ“ハシャギ”ってのは明るくて活発で子供らしくていいじゃないの、という解釈です。しかし“ハシャギ”のキッカケとして、他人の小さな失敗をピックアップして誇張してはしゃぐ=いわゆる“あげ足”をとるようになると、“ハシャギ”もちょっと質が悪くなってきますが、でもまぁ、特定の相手を持続的集中的に標的にしない限りは、まだ子供らしいってことでよかったんじゃないの、と思います。

そんな私の基本的性質が“ハシャギ”から“スットボケ”に転じたキッカケは1979年、高校2年生の時です。1年の時から同じクラスでしたが特に仲がいいわけでもなく、たまにちょろっと言葉を交わす程度の杉山二郎は、おとなしくて決して目立たない存在でした。ある日の英語(Reader)の授業で照崎先生に指名された杉山二郎は、教科書の英文を読み、その部分を訳します。

まず最初に文中の【King’s Road】という単語を「王様通り」と訳し、クラスは「あいつバカやないとや」程度に軽く笑います。照崎先生が「これは固有名詞だから、そのまま“キングスロード”でよろしい」と言うと、「あ、そうですか」と表情を変えずに杉山二郎は「キングスロード」と言い直し、その流れで次の行の【Hammer Hill】を「カナヅチ丘」と訳しました。クラスは「あいつホントにバカばい」的に笑いが少し広がりますが、照崎先生は「うぅぅん、これも固有名詞だから、そのまま“ハマーヒル”でよろしい」と言います。「あ、はい、わかりました」と杉山二郎は「ハマーヒル」と言い直し、そしてその後に登場する【Mrs. Green】を杉山二郎は「緑のおばさん」と訳しやがったもんですから、クラスはついに爆笑です。堅物マジメ系の照崎先生も「杉山〜、これはグリーン夫人でしょう」と失笑しました。それでも杉山二郎は「あ、それでいいんですか」という表情を崩しませんでした。

「あいつはホントにバカなんだな」と思っていた授業終了後の休み時間、杉山二郎が私のところにやってきて、「ウケた?」と一言。・・・ん、もしかして「おまえ、あれ、わざと?」と聞き返すと、杉山二郎は「うん」とニヤけてうなずきました。あの「王様通り」も「カナヅチ丘」も「緑のおばさん」もすべて“スットボケ”だったというのです。いやぁぁぁ、これには私はたいへんに強いショックを受けたことをよく憶えています。「King’s Road→王様通り」「Hammer Hill→カナヅチ丘」というわかりやすい直訳ネタを2つ並べた後に「Mrs. Green」をちょっとひねって「緑のおばさん」と訳してフィニッシュ。この確実な構成、それは決してアドリブでできることではないでしょう。ということは、いつ照崎先生に指名されてもいいように準備していた、つまり英語の予習をしながらにしてネタを仕込んでいた、と考えられます。感動ものです。

しかも1年生の時からの “あいつ頭悪いばい”と思わせる数々の発言や行動もすべてわざとやっていたのかと問うと、杉山二郎はそのとおりだと肯定しました。同じクラスにいながら2年目にしてやっと、その正体をこっそり明かすターム感の長さまた恐るべしです。そして、他の誰でもなく私のところに「ウケた?」と確認しにきたことは、「あいつならわかってくれるだろう」と思っていたのでしょう。これはよく考えればすごくうれしい事実で、そんなこともあって、私はそれまでの“ハシャギ”をやめて、一転“スットボケ”の道を歩み始めたというわけです。

卒業後上京した私は、新中野のバイト先で知り合った高橋三千男さんや松尾和夫さん、原宿のバイト先の大橋勝利さんなどからさまざまなタイプの“スットボケ”の楽しさを学び取り、87年にレコードデビュー。最初は自分の本質をうまく表に出せぬままの音楽活動が続きましたが、90年代に入ってコンサートを自分で作るようになってきたころからは、いろんな意味で優れたメンバーにも恵まれ、徐々に“スットボケ”感をステージで表現できるようになってきたとは思うんですが、いやしかし、まだまだわかる人にしかわからないレベルのものでしかありませんでしたし、状況や設定を神経質に見極めない事にはわかるはずの人にすらわかりにくい、そんな感じだったのでしょう。いやしかしのしかし、本来“スットボケ”とは、そのような極めて繊細な“ニュアンス文化”であると信じるわけで、万人に同時にドッとウケるようなものは“スットボケ”でもなんでもないのです。

パリ時代、語学学校での私もごく自然体で“スットボケ”ていましたが、いかんせんフランス語なもんですから、微妙なニュアンスを言葉で表現することは困難を極め、またクラスのお友達も同様にフランス語を学びにきた外国人なわけですから、私の行動や言動は認識単語の範囲内でしか表現・解釈されず、私のキャラクターは“スットボケ”どころか“ウソばかり言ってる日本人”とほぼ固定されながらもいろんな国のお友達と意外と仲良くやってたもんでした。

帰国後のさまざまな音楽活動のなか、【弾き語りばったり】のシリーズを御覧いただいている皆さまには、どこまで本気でどこからがギャグなのか、どこあたりが真実でどのくらいウソなのか、といった私なりの微妙な“スットボケ”感がなんとなく伝わり広がってきているのかな、という感触は少なからずあるにはあるんですが、しかし、その“スットボケ”をより理想的に表現しようとするためには、逆に“ホンモノの演奏・歌唱”のスキルアップが自分自身に強く要求されるわけで、そんな時にアンジェラ・アキさんの生演奏なんて観ちゃった日にゃ、もうたいへんに複雑で巨大な課題が目の前に裸で立ってるんじゃなくて、立ちはだかっているわけです。“スキルアップ”って語を初めて使ってみてちょっとテレてますが、使い心地は正直あんまりよくありませんよ。

そんなこんなでもうすぐ46歳になりますし、三谷幸喜さんにもお会いしたことですし、より奥の深い真の“スットボケ”の孤高の域を私は目指します。とりあえずは『ザ・マジックアワー』を私は見るべきです。

無理矢理埋めてみた今週の金コラ、とんでもない読み応えのNASAを残したまま最後に杉山二郎の写真を無断で貼っつけて逃げるようにこのへんでお開き。来週は何を書けるんでしょうか。またゴルフの話ってのもつまんないでしょうし、今日の札幌からの帰りの便は久しぶりにバシッとした正統派美人がいたんだよなぁ、っつったってそんなこと書くんだったら写真の撮って見せてくれよ、写真 !、ってことでしょうし、難しいですね。ま、それでも時は過ぎてゆき、それもまた私の人生なのです。誰かたすけてぇ〜っ!(変な終わり方)


元祖スットボケ 杉山二郎
 

スットボケに転じた私

あ、明日の夕方『MUSIC FAIR 21』出ますよ。トーク収録では、あることないことデタラメ120%でスットボケ倒してみたんですけど、キレイに編集されてんだろうなぁ。

2008/08/29



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