No.081
『ビリー・ジョエルと私』
東京・大阪でのライブイベント『LuckyRaccoonNight vol.1』、楽しく楽しく終わりました。私と桜井和寿くんのユニット「パイロットとスチュワーデス」のステージは後に長く語り継がれるべき貴重なものだったと思います。このライブイベントの内容は12月25日発売の『LuckyRaccoon vol.20』に丸ごと特集されます。私のサイトではこの雑誌の発売後に細かく書かせていただきますので、どちらもお楽しみに。
そんでもって、はい、観てきました。11月28日、ビリー・ジョエル日本公演初日、東京ドーム。
1981年4月の上京時、東京駅に着いたその足で荷物を引きずりながら青山のウドー音楽事務所に行きチケットを買って、1週間後に初めて観た日本武道館でのビリー・ジョエルさんのコンサートは、私の音楽家への決意を確固たるものにさせました。この時がビリー・ジョエルさん的には3度目の来日公演、以降84年の日本武道館、87年の国立代々木競技場、91年の東京ドーム、95年の日本武道館、98年エルトン・ジョンさんとの「Face To Face」東京ドーム、そして今回と、私はすべて観ています。上京後唯一観に行けなかったのは88年の東京ドーム、ボズ・スキャッグス、アート・ガーファンクル他との大イベント「KIRIN DRY GIGS ’88」。あの時は千葉テレビの「テレジオ7」というVJ番組をやっていて、その番組イベントでアマチュアコンテストの司会を伊藤銀次さんと泣きながらやっていました。
そいうわけで、自身通算7度目のビリー・ジョエル公演。もうね、私の場合はなんでもいいんです。そこに本物のビリー・ジョエルさんがいて演奏している、それだけで充分。選曲がどうだの、音がどうだのうんぬん言う筋合いはありません。なぜならビリー・ジョエルという存在・演奏・その作品のすべてが私にとって“正しい”手本であるからです。今週はそんな現在の私は、あったこともないのに勝手に我が師ビリー・ジョエルさんによって成り立っているということを書こうと思います。
私がビリー・ジョエルさんの音楽に初めて触れたのは1978年。高校1年の夏、同じ水泳部の野村智二郎が持っていたレコードを「それなんや?」と聞くと「ビリー・ジョエル、いいばい」と言うので「貸せ」ってことでもぎとったのがアルバム『52nd Street』。1曲目の「Big Shot」にそれまで聴いていたビートルズとはじぇんじぇん違うスゴイ衝撃を受け、早速“耳コピ”を開始。「Big Shot」「Honesty」「My Life」とビートルズにはなかった複雑なコード、フレーズを連日必死でコピーし続けましたが、4曲目の「Zanzibar」のジャジーなコード展開についに力尽き、福岡・天神のヤマハに行ってしぶしぶ楽譜を買ったのをよく覚えています。直後、幼なじみの河合宏樹の家でアルバム『Stranger』を発見、即借り。それまで作っていたオリジナル曲は3コードのロックンロールばかりでしたが、このころから“ビリージョエルみたいな曲”にトライします。「Just The Way You Are」を目指して作った「Tender Eyes」は、世に出ることはじぇったいないと思いますが、今思えば田舎の高校生らしい素朴で未熟で爽やかな作品です。高校卒業時に年間遅刻回数学年1位の同級生の伊佐が「これやるばい」とくれたのがアルバム『Turnstiles』のカセットコピー(ちなみに私は2位)。そして上京、日本武道館・北東スタンド2階、ビリージョエル背中を斜め後ろの高いところから見下ろしながら音楽家への決意を固めたという流れです。
それ以降のアルバムはもちろんすべて聴き倒し、こんな曲つくりてぇあんな曲歌いてぇといくつもの作品を作りました。「Easy Money」を目指した「テレビの中に」、「All For Layna」を目指した「だいじょうぶ I’m All Right」、「Allentown」を目指した「Regrets」、「Uptown Girl」を目指した「愛は勝つ」、「Scenes From An Italian Restaurant」を目指した「1989」、「She’s Always A Woman」を目指した「永遠」、「Say Goodbye To Hollywood」を目指した「TOKYOMAN」、「The Longest Time」を目指した「KANのChristmas Song」、「Summer, Highland Falls」を目指した「秋、多摩川にて」、「Baby Grand」を目指した「牛乳のんでギュー」、「James」を目指した「Autumn Song」、「The Entertainer」をモチーフにした「Songwriter」、「Leningrad」に強く触発された「紅のうた」、「Sleeping With The Television On」を目指した「Superfaker」、「If I Only Had A Word」を目指した「遥かなるまわり道の向こうで」、・・と分かりやすい作品だけでもこれだけありますし、それ以外にも細かい部分では多くの楽曲にいろんなかたちでビリー・ジョエル作品の影響が潜在しています。
というわけで、ビリー・ジョエルさんなしには音楽家としての今の私は存在し得ない、ということが少しでもおわかりいただけたでしょうか。しかし今回の東京公演、往路予想以上の渋滞に巻き込まれたうえに空いた駐車場を見つけられず、あたま3曲半を聴き逃すというおかしてはならぬ大失策、しかもその中に「Miami 2017」が含まれていたという大悔恨に、どうにかしてもう一度観れぬものかと残りの日程を観てみましたが、札幌・大阪・福岡・名古屋すべて物理的に無理でした。あああああぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜。誰か「あ」に濁点つける入力法を教えてくれぇぇぇぇ〜〜、とそんな気分をひきずったままこれを書いている今日木曜日は「AAA」で大阪城ホール、来週は上海で弾き語ってきます。しゃぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜。
ちなみに78年に野村からもぎとったレコード『52nd Street』はまだ私の手元にあったりして。
2006/12/01
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