No.062
『私の辞書にリサイクルという文字はない』
じゃぁ、コレはなんですか?
早いものでフランス・パリから帰国してもう丸2年が経ちました。「あぁ時間がない、あぁ時間がない」と動き回る東京生活のサイクルにもうすっかり適応しているフリをしながら私なりにテキトーに抜きながらバランスとってやってますが、でもNHK-BSで『世界遺産・フランス縦断の旅』なんて見てると、あぁ〜、あの美しき日々がなつかしいです。あらためてフランスはステキな国だと思います。過剰な競争をしない、進化し過ぎない、なんつたって人間臭い情緒があります。東京はねぇ〜、物質的には豊かになってもなっても人間的にどこか豊かになれない、そんな根本的な何かを感じてしまうのはいなめなめなめなめませんが、しかしやはりアメリカとの歴史的な関係などを考えると、日本もフランスのように・・・と単に望むのは無理があるようです。
もちろん地理的にも歴史的にも文化人類学的にもなにもかもが違う日本とフランスを比較すること自体ナンセンスっちゃぁナンセンスなんすけど、現代社会における双方の決定的な違いのひとつに“テレビの影響力”の違いがあります。中央が発する電波が国民の思考・行動に与える影響力の強さを算出し比較する世界共通の計算方法など存在しないのでしょうが、私の感覚ではメディア・特に“テレビ”が国民に与える影響力が世界でもっと強い国のひとつは明らかに日本です。それが良いことなのか悪いことなのかは個人の考え方によって解釈はさまざまでしょうが、私にとっては少なくともここ15年くらいステキなことだと感じたことは一度もありません。まぁ、あまりこのへんのことを語りだすと昨今の日本のメディアのあり方を全否定するにとどまらず私の政治思想的な一面までかいま見せちゃったりしちゃったりして「なぁ〜んだ、結構ちゃんと世の中のこと考えてるんじゃん」となり、あとあと結果的にお互い疲れることになりますので書きゃしませんが、まぁそのようなことも思いながら生活しているのは確かです。
そんな私が生活の中で守りとおしている“愛すべきフランス式”のひとつに“ものを大事に使い続ける”ってことがあります。98年からもう丸8年使っている歴代2機目の携帯電話には、もちろんカメラなんてついてませんしメールもできません、必殺技はブルブル震えるマナーモード、でも会話ははずみます。車も92年に購入した高級北欧車を14年間ず〜っと乗り続けてるもんですから修理にかかる経費は年々増大するものの何の問題もなくびゅんびゅん走ってます、人生初マイカーです。VANのブレザーだって襟とか袖とか修理を繰り返しながら着てるもんですから、中学生の学生服みたいに生地が部分的にカペカペに光っちゃったりしてますが捨てません。いつも使ってるもので一番古いのはカードケースですかね、なんせ高校生のとき買ったやつですから気がつきゃもう25年以上使ってますよ。今となってはギラギラ光るゴールドカードがぶりぶり入っていますが、買った当時はいったい何を入れてたんでしょうね。
なもんですから、私の辞書に“リサイクル”なんて言葉は存在しないのです。だって捨てませんから。私に言わせりゃ“リサイクル”なんっちゃぁ、新しいもんホイホイ買っちゃってまだ充分使えるやつホイホイ捨てちゃう消費至上主義者のリーズナブルな言い訳ワードに過ぎません。
では、冒頭の写真をもう一度見てください。そうです、ビニール傘です。骨組みの一部がはずれたので「新横浜ラーメン博物館」のパンフレットのホッチキスをはずしてニッパーでくりくりやって修理しました。ビニール傘だってこのように修理すれば何年だって使えますし、簡単に置き忘れてきたりはできません。私は傘を持たずに家を出て、帰るとき雨が降っていてもそのへんの傘立てにあまってそうなビニール傘を勝手にさして帰ったりはしませんよ。だって家に大事な私のビニール傘があるんですから。
あの〜、書いてるうちにだんだん心配になってきたんでいちおう念のために言っときますけど、お金ないわけじゃないですからね。どっちかっつうとあまってるほうですから、御心配なく。ってゆうか、ありがとうございます。
「けっこう長いんすねぇ〜」「おたくもねばんなさいよ」 |
2006/07/21
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