No.032
『フランス暴動問題についての考察』
2週間ほど前の朝日新聞・国際面に【仏暴動「ラップ」が原因?】という記事がありました。読んでみると、<10〜11月にフランス各地で起きた暴動をめぐり、若者に人気のラップ音楽が暴動をあおったかどうかという論争が国内で起きている。上下両院の議員有志が「ラップがフランス社会への憎しみをかきたてている」としてラップ歌手を告発する動きを見せているが〜〜〜〜>という内容。「んな、アホな」ですよね。デカい背広でおなじみのドヴィルパン首相は「ノン!ラップに責任はない。責任のなすりつけ合いはやめよう」と語ったらしいのですが、多くの移民が供住するフランスでは「んな、アホな」と一蹴できない気持ちでいる人もいるだろうことはいなめなめなめません。
基本的にメロディがなくビートに乗ってリズミカルに喋る『ラップ』とはそもそもなんなのか、と単語の意味を調べてみると、<【rap】−《俗》激しい小言、非難 《米俗》話、おしゃべり>という意味が含まれていました。<【rapture】−有頂天、狂喜、歓喜>という言葉も関連しているのかもしれません。アメリカのアメリカンアフリカンの若い層が、人種問題、社会への不満などをはきだすようにリズムにのせていたのがひとつの音楽スタイルとして確立されたのでしょう。フランスのラップもきっと似た形態で、都市郊外に住む若い移民層のなんらかのはけぐちになっているのかもしれません。それが今回の一連の暴動の原因となったというのは飛躍しすぎな気がしますが、決して健全とはいいがたく、考えるべき問題のひとつであることは確かです。
私が初めてこのラップ音楽を耳にしたのは、高校生の時でしたからたぶん1979年か80年。いっしょにバンドを組んでいた友人・谷本の家で聴いたあるシングル盤です。残念ながら肝心のアーティスト名、曲名を憶えていませんが、ジャケットに“ギター、ジョージ・ベンソン!”と派手なギザギザ囲みで書いてありました。「ディーゾ−ダワ〜、ブレキナッ、ブレキナッ、ブレキナッ、ゲッダン!」というフレーズきいて「ん、なんかわからんけど、めちゃくちゃカッコイイね」と盛り上がり、「よし、こんなヤツやろう」ということで私がエレキギターでAm・C・Dの循環コードを鳴らし、そこに谷本がやみくもになにか叫びはじめます。そんなことを繰り返しているうちに、題材は“誘いに行っただけなのにいきなり怒られる、野田の母ちゃんはコワイ”ということに絞り込まれ、これを整理して楽曲として完成させたのが私の初のラップ作品『バッファロー・マザー・エキサイティング』。しかし私が作ったのはコード進行と「バッファロ〜・マザ〜・エキサイティ〜ン」というテーマメロディだけで、ラップ部分はすべて谷本がつくり、その内容は時に微妙に変化するというフレキシブルなものでした。ってゆうか、リズムに乗っているとはお世辞にも言えない作品だったので、胸をはって「ラップ作品」とは言えないような感じです。
『ラップ』との第2次遭遇は1984年、大学の2回目の3年生の年。当時のバンド『ANNETTE』でヤマハのロックコンテスト『イーストウェスト』関東甲信越大会への出場が決まっていた時期です。コンテストは持ち時間10分で、普通はみな2曲を演奏して終わるのですが、私のバンドのエントリー曲『I’m Not Fit For Night』と『Spicy Night(君はスパイシー)』は2曲合わせて約8分。2分くらい残ってしまうのがせっかくのコンテストなのにもったいないと、と思った私は、この2分間を何か有効に使えないだろうか、と考えていました。そんなある日、バンドのリーダーでギターの大村さんが愛車シビックの中で、「KANちゃん、これカッコイイよぉ」と聞かせてくれたのが佐野元春さんの日本語ラップ作品『コンプリケイション・シェイクダウン』。「うぅ〜ん、確かにカッコイイ、こんな感じは初めてだ!」と衝撃を受けた私は「コレですよ大村さん、これやりましょう、コンテストで」と思いつきました。出場曲の1曲目終わりにビートを切らぬまま自作の「日本語ラップ」を導入、そのまま2曲目のイントロへつながり総演奏時間はピッタリ10分、という当時のコンテストとしてはかなり斬新なパフォーマンスを見せ、見事“優秀賞”を獲得しました。
気を良くして同年の『集英社ヤングジャンプ・サウンドコンテスト』本大会でも、出場曲は違うもののつなぎ部分に新しく作った「ラップ」を導入しただけでなく、さらに当時流行っていた映画『ブレイク・ダンス』のビデオを繰り返し見ながら振り付けの一部をそのまんまコピーして、ラップしながらの「ブレイクダンス」を披露しました。正直グランプリを取りに行く意気込みだったのですが、結果は“ヤングジャンプ奨励賞”止まり。大会を見に来ていたバイト先の後輩に「あの、器械体操おもしろかったっすよ」と言われゲンナリ凹んだものでした。
12年かかって気を取り直した1996年。こんどは『9×9』(九九)のラップを発案し、『8 days A week』という楽曲後半部分に作り付け、コンサートツアーで発表しました。「ニニンガシ、ニサンガロク、ニシガハーッチ・・・」からはじまり、最後はジャイアント馬場さん式に「ハッパ64、ポー」で締める、という今思い起こしてもかなり洗練された企画でした。そんなラップ経歴をへて、2001年のアルバム『Gleam & Squeeze』1曲目に収録した『東京熱帯Squeeze』が、現段階唯一CDとして発表されている私のラップ作品です。
と、こうして書いていみて初めて気づいたのですが、佐野元春さんのラップ作品『コンプリケイション・シェイクダウン』が、私のデビューに大きく影響しているではないですか。お会いしたことはありませんが、この場をかりて、佐野元春さんに感謝の意と敬意を表します。ありがとうございました。
先日「爆笑問題」のテレビ番組で、日本で最初のラップ作品を発表したのは佐野元春さんだ、という話題をやっていました。それを見ながら、ふと、武田鉄矢さん率いる「海援隊」の『母に捧げるバラード』や、宇崎竜童さん率いる「ダウンタウンブギウギバンド」の『港のヨ−コ・ヨコハマ・ヨコスカ』(75年)も「ラップ」じゃないのか、と思いましたが、いや、でも言葉をビートに絡ませていたか、と考えるとやはりそれは「ラップ」ではなく、“語り”だったのかもしれません。いや、でも待てよ、その後の「海援隊」の『あんたが大将』や『JODAN JODAN』はどうだ。曲全体は知らないが、サビ部分の「あんたが大将〜!」や「J・O・D・A・N、 ジョ−ダン!」は明らかに言葉をビートにのせて連呼しているではないか。そうだ、そうですよ、日本初のラッパ−はまぎれもなく“武田鉄矢さん”ではないか。
うむ、やっとこのコラムの結論が見えてきました。 人気テレビ番組『3年B組 金八先生』で、多くの問題児を説きなだめ更正させ、当時の全国のお茶の間を納得・感心させた金八先生=武田鉄矢さんの数多くの“名説教”。この説教音源をドラマのマスターテープから抜き出し、それをフランス語に訳して、最近っぽいビートにのせてリミックスしたCDを“禅の国のラップ・KINPACHI”としてフランスで発売する。フランス人はみな“ZEN”という言葉に、欧州にはない未知の不思議な力をイメージしていますからね。フランス社会への不満をラップにぶつける移民の若者たちは今まで聴いたことのないタイプの“ZENのラップ”に新しい衝撃を受け、それを真似てラップしているうちに「暴力なんて無意味なんだ」「許しあって助けあって生きようじゃないか」と自ら自然と更正してゆくことでしょう。ラップ・ジャポネ『KINPACHI』がフランス社会の危機を根本から救うのです。
どうでしょう。「おもしろい! 実行しようじゃないか」というポジティヴでグローバルなメーカーさんいらっしゃいませんかねぇ。
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このコラムを書くにあたり、曲名表記などの確認の意味で佐野元春さんの公式サイトを見てたら・・、スゴイですよ。特に【言葉・音楽】というコンテンツ。いわゆるディスコグラフィなんですが、なんと全曲、「歌詞」が読めて「試聴」できるだけでなく、なんと『コード譜』が載ってるんですから。ミュージシャンによるミュージシャンのためのサイトです。うぅ〜ん、さすがだ。そして、かなり、くやすぃ〜。
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では、楽しいクリスマスを。
2005/12/23
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