No.209
『トルクメニスタン旅行記 3 テジェン/アシュカバード』
トルクメニスタン旅行記その3です。1・2をお読みでない方は、お時間があれば先々週のNo.207からお読みいただければ、と思います。今週はマーリから車でアシュカバードに戻っての、旅の終盤の数日間です。
4月13日(月)晴れ
◆高速道路で首都・アシュカバードへ
午前中からのメルブ遺跡見学を終えて、再び首都・アシュカバードに戻ります。来る時は飛行機で40分だったんですが、帰りもそれじゃ味気ないということで、敢えて陸路を希望していました。せっかく車での移動なので、昼食はマーリの街中ではなく、途中のどこかで食べたいと申し出ました。ってことで高速道路を西へ向かってひた走ります。
砂漠の中を東西に走る高速道路。砂漠と言っても、パリ・ダカール・ラリーで見るような完全に砂だけの土地ではなく、どちらかというと景色は一面緑色。これは先述のカラクム運河に完成後、砂漠が緑化されたってことなのでしょう。この気候特有の植物の名をいくつか教わりましたが忘れました。高速道路と言っても無料なので、ただ速く走ればそれが“高速”ってことです。2年半前までの初代大統領時代は、マーリ/アシュカバード間だけで検問所が7カ所あり、その都度パスポート・チェック。団体客がバスで移動する場合は、7カ所のチェックポイントだけでかなりの時間をくっていたそうです。現在は検問所に警官は駐在しているものの、平常時はゲートはあいたままで、特にチェックはありません。それもなんか残念だなぁ、私なんかは2〜3回くらいチェックしてほしいんですけど、逆に。
◆魚カフェで魚のフライ
「1時間ほど走れば新鮮な魚料理を食べれる店があります」ってことだったんですが、「魚〜? 砂漠で?」とかなりの不安にかられましたが、イゴルくんが「私は仕事ではなくここを通る時は必ず立ち寄りますよ」と言うので、あぁそう、腹も減りまくりだし、だいたいのもんは旨く感じるだろうってことでそこで食べることにしました。そうなんです、これは旅行時の私の基本。常にいい感じの空腹を保っておく、つまり1回の食事で食べ過ぎることなく、4時間後には普通に腹が減り、6時間もすりゃ腹ぺこになっている。それでだいたいのもんはおいしく食べれます。当然、朝・昼・晩の時間間隔をキチッとあけることも重要です。普段の生活でも基本的にそうしている私ですが、どんな食べものがどんな味付けで出てくるのか想像しにくい旅行先では特に得策です。というわけで走ること1時間、ホテルでのロシア式朝食から6時間後、イイ感じのハングリー・コンディションでやってきました。
道路脇の小さい川に面した店『Hovus Han』にはテラス席がありました。こういう店をトルクメン語では【chaihana/チャイハナ】と言うそうで、【chai】は「茶」、【hana】は「家」、つまり「茶屋」ということです。しかし多くの【チャイハナ】はお茶だけではなく、簡単な食事もとれるそうです。ロシア語でこの類は【kafe/カフェ】とカテゴライズされます。日本語では「食堂」でしょうけど、高速道路脇にポツンとあるから「ドライブイン」的存在ですかね。しかしこのチャイハナ『Hovus Han』はちょっと独特で、小さい川を“いけす”がわりに、仕入れた魚を泳がせ、さばいてすぐ揚げてテーブルに出すってことで、新鮮な魚が食べれるめずらしい店ということでドライバーには人気だそうです。
店の前の川が“いけす”がわり |
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その場で魚をさばいて揚げる |
実際に魚を揚げているお兄さんのところに行って、魚を見て注文しようと思いますが、なんつたってすべて川魚ですから、見た目ではなんにもわからず、「うぅん、わからん、イゴルくん、まかした」ってことにしました。そんなイゴルくんも見た感じでは「うぅん、わからん、もうテキトー、これ!」って感じで指差してました。「なんて名前の魚?」と聞くと、やっぱりわかんなかったようで、お店の人に聞き「トルクメン語ではSOM、英語ではなんて言うのかわかりません」ってことでした。ビールを飲みながら待つこと数分、“SOM”の切り身が揚げたてのアツアツでやってきました。昨日のシャシリクにつけたような、トマトベースに香味野菜のみじん切りが入ったソースも添えられます。恐れていた臭みはなく、まぁまぁうまかったです。
◆テジェン
再び車に乗り砂漠のハイウェイを西へ向かいます。1時間半ほど走ってテジェンの街に着きました。小さな工業都市・テジェンには観光客はやってこないってことで、ホテルもなにもありません。私はただ何でもない街を見て、写真を撮りたかっただけですから、それでいいのです。というわけで適当に車を停めて街をうろうろしてみます。5人の若いトルクメン女性が歩いてきたので「こんにちは、写真を撮ってもいいですか?」とロシア語で声をかけてみると、「ふふふ、ふふふ」と小走りで逃げていきました。そりゃそうでしょう。いきなり外国人が近寄ってきて「写真撮らせろ」ですから、私だって逃げますよ。しばらく歩くと今度はチビッコたちがいました。できるだけ柔らかい表情で「こんにちは、写真を撮っていいですか?」と声をかけると、男の子2人がダーッと寄ってきてポーズをとってくれました。名前を聞こうとすると走って逃げていき、遠くからこっちをみて笑ってました。またしばらく歩いていると、ノコギリで木を切っている青年がいました。「こんにちは、写真を撮ってもいいですか?」と声をかけると、青年は神妙な表情でガイドのイゴルくんになにか話しています。聞くと、政府の関係者が何らかの調査にやってきたのではないかと勘違いしてビビッているようです。「いいえ、日本からの観光客です。写真を撮ってもいいですか?」とイゴルくんが言うと、ノコギリを後ろにかくしてカメラを見てくれました。
そんな感じでほんの20分くらいテジェンの街をウロウロして、再び車に乗り、アシュカバードを目指します。トルクメニスタンには“メロンの日”ってのがあるって聞いたんですけど、なんて話をイゴルくんにふってみると、“メロンの日”もありますし、“スイカの日”もあるそうです。いずれもトルクメニスタンの重要な農産物だからということです。スイカの実を切って干して半生状態にする食べものもあるそうで、日本の“干し柿”みたいなもんですかねぇ、なんて話をしていたら、いいタイミングで道路脇にその半干しスイカを売っている人がいたので、車を停めてイゴルくんが買ってくれました。さっそく車の中で味見をしようとすると、「甘い汁が垂れるので車の中ではダメです。ホテルに帰って味見して、気に入ったらおみやげに買って帰ってください。」ってことなのでそうします。
西に向かうにつれてだんだん空がだんだん暗くなり、雲行きが怪しくなってきました。さっきビールを飲んだせいか、私のボーコーも雲行きが怪しくなってきました。アシュカバードまであと1時間半はあるみたいだし、「トイレなんてもちろんないですよねぇ」と聞いてみると、「オープンエアートイレットならどこでも好きなところにありますよ」ということだったので、では雨が降る前に、と車を停めてもらい、緑の砂漠を少し歩いて大地に向かってボーコーオープン。開放感と罪悪感が混ざりあう不思議な感触でした。そのうち雨が振り出し、だんだん強くなり、なんやかんやで5時間半、首都・アシュカバードに戻ってきました。
道路脇で半干しスイカを売る男性 |
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オープンエアーでボーコーオープン |
ここからの2泊はアシュカバードで最高級の【Hotel Grand Turkmen/ホテル・グランド・トルクメン】。“中立の門”が見える部屋をリクエストしてチェックイン。広くていい部屋です。もうすぐ8時ってことで夕食はホテル近くのレストラン【Nussay】へ。場所がら客のほとんどは外国人ということで、メニューには中央アジアの料理の他にピザやスパゲティ、ハンバーガーまでありました。鶏肉の“インディアン・スタイル”ってのと“タイランド・スタイル”というのがあり、何がどう違うのかとウェイトレスさんに聞てもらったものの、その決定的な違いわからず、まぁいいやと私は“鶏のインディアン・スタイル”を、ならばとイゴルくんは“鶏のタイランド・スタイル”を注文しました。結局なにがどう違うのかは見た目ではわかりませんでしたが、まぁゆるいチキンカレーみたいな感じで、蒸した米とフライドポテトがついてました。まぁ、おいしかったです。
◆ニヒルなお巡りさん
イゴルくんと別れた後は、ホテルのすぐ近くにアイリッシュ・パブがあるってことで歩いて行ってみました。入ってみるといわゆるスポーツバーで、カウンターの端っこの席が空いていたので座り、グルジアの赤ワインを頼みました。ここも場所がら客は外国人ばかりのようで、私の隣ではフランス語のおじさん3人がいい感じで酔っぱらってました。一杯飲んで店を出てホテルに帰りますが、信号のない横断歩道に車がとぎれずなかなか渡れないでいる私を見かねたのか、厳つい雨合羽を着た若い警察官が無言で車を静止し、私と一緒に無言で横断歩道を渡ってくれました。「サグボルン/ありがとう」と言うと、ニコリともせずに無言で横断歩道を戻って行きました。ううん、ニヒルなお巡りさんです。そんなわけで長い一日は終わり、さっさと寝ました。窓の外には【中立の門】が七色にライトアップされています。
4月14日(火)雨
◆いよいよ単独行動
さぁ、今日はガイドさんも運転手さんもいない単独行動の日です。それはこの旅行で最も重要な1日です。本来、トルクメニスタン旅行はすべての行程にガイドを同伴しなければビザがおりないということだったんですが、できれば単独行動をしたいという希望が、トルクメニスタンの旅行会社にうまいこと事前に伝わっていて、許可されました。ガイドのイゴルくんに聞くと、「団体であれば絶対に無理ですが、ひとりだし、大人だし、1日であればいいでしょう」とイゴルくんの上司の判断で許可してくれたそうです。しかし、万一なにか問題があった際には、それはすべて旅行会社のイゴルくんの上司の責任を問われることになるので「ふたつのことを必ず守って行動してください。」と忠告されたのは、“公共の場での喫煙”と“写真撮影”。「喫煙についてはMr.Kimuraさんはだいじょぶだと思いますが、写真については充分に注意して、写真を撮りたい時は周囲に警察官がいないことを必ず確認してください。もし見つかるとカメラを没収されて、へたすりゃ警察に連行されることもあります。」ってことなので、そりゃ緊張感ぶり高千里です。とにかくそのことを充分意識しながら午前10時、単独行動に出発します。だのに〜、な〜ぜ〜♪・・またも雨です。まぁ仕方がありません。しかし、傘を持とうか持つまいかというくらいの微妙な小雨です。しかし緊張すべき単独行動において傘で片手がふさがってしまうのはうまくないだろうと思い、とりあえず傘なしでホテルを出ました。
◆市バスに乗る
まずは“市バスに乗る”。知らない街を訪れた時、これが最もシンプルで最もエキサイティングな行動です。大都会の地下鉄だったら路線図が必ずありますし、それを頼りに乗ればOK。最悪乗り間違えたとしても逆方向に乗り換えれば元の駅に戻ります。しかし、よほどの観光都市でない限り市バスの路線図なんてものは存在しません。何番はどこを通ってどこへ行くということを把握している地元の人のための乗り物です。であるからこそ、その街の人々の普通の生活の中に身を置いてみるステキなチャンスなのです。路線図がないのでまずはアテズッポで乗ってみますが、窓外の景色と地図を交互に睨みつけていれば、だいたいどこにいるかはわかりますし、最悪わかんなくなったとしても、太陽と影の向きで方向は確認できます。という感じで私もこれまでいろんな街で市バスに乗りましたが、しかし、今回はちょっと難度が高いです。日本の旅行会社からもらったアシュカバードの地図は端から端までほんの5km、ホントに中心部のみです。前日にイゴルくんにもたずねましたが地図はありません。ホテルのショップにあったのはトルクメニスタン全土の地図だけでした。しかも小雨ですから陽も影も出てません。そんなことにクヨクヨしても仕方がないので、まずはホテルの近くのバス停から22番のバスに、人々にならって後ろのドアから乗り込みました。
運転席の後ろに料金表示板があり複数の料金が書かれていますが、なんせ言葉がわからないのでなにがどういくらなのかはわかりませんが、たぶんいちばん小額の「0.20」が1回の運賃だろうという予測します。このバスは北の方向に=アシュカバードの駅に向かって走っているという根本的な勘違いをしながら停留所を3つほど過ぎると、あれっ?2日目に見学したトルコ式モスクが現れました。げっ、方向が違うと思って次の停留所で降りることにしました。みな前のドアから降りる時に運転手さんに切符を渡したりカードを見せたりしています。私はまだ切符を持っていないので、1マナトを手渡しておつりをもらおうと思ったら、5枚綴りの回数券をくれました。はぁぁ、そういうことね。ま、いいや、今日は何回もバスに乗るからちょうどよかったです。1マナトで5回券ってことは、1回8円弱ってことですか。これも国内線の航空券同様、社会主義ならではの料金設定なのでしょうか。
1回の運賃は 20tenne=0.20新マナト=1000旧マナト |
で、目の前の大きなモスク、それはやはり2日目に来たトルコ式モスクでした。確認するとそのモスクは手元の地図の東の端にかろうじてあり、ここでバスは北ではなく東に走ってきたのだと認識します。とりあえず今いる位置はわかったので、次の大きい通りまで北に歩いてみることにしました。3階建ての古いアパートが並ぶこの辺りを、そう言えばイゴルくんが“Old Ashgabad”と言っていたような気がします。おそるおそる裏路地に入ってみると、お、やはりここにもパラボラアンテナ、近くで見るとデカイです。お巡りさんがいないことを確認してシャシャッと2枚撮りました。
古い低層住宅にも大きなパラボラアンテナが |
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アパートの向こうにモスクの光塔が見える |
再び表通りに出て北へ歩いていると、向こうから歩いてきた老婦人が立ち止まり、やや厳しい表情で話しかけてきました。しかしトルクメン語をわかるわけない私はちんぷんかんぷんで、「すいません、わかりません」という困った表情を投げかけると、老婦人は最後になにかひとこと言って歩いて行きました。なんて言ってたんでしょう。「ちょいとお前さん、あんたみたいな外国人がなんでこんなとこ歩いてるんだい? 道はわかってんのかい?」「・・・・・・?」「気をつけてお行きなさいよ」みたいな、ウルトラタブンこんな感じでしょうか。
しばらく歩くと大きなバス通りに出ました。ここがたぶんマグトゥムグリ大通りでしょう。だとすると駅へ、アシュカバード駅のほうへ行ってみよう。と西へ向かうバスに乗り、3つ目の停留所あたりで北側に駅が見えたので降りました。そこから駅まで200mほど、途中ひとりのお巡りさんとすれ違って緊張しましたが、小刻みに写真を撮りながら駅前にやってきました。最近建て替えられたばかりというきれいな駅舎の正面には2代目大統領の大きな肖像画がありました。お巡りさんがいないことを確認して写真を撮ります。駅舎を撮るだけなのにこんなにあたりを警戒したことはありません。まるで盗撮です。でもそう思うと少し楽しくなってきました。地下道をくぐってプラットホームに出てみます。ホームも列車もピカピカでなんだかイメージ外でしたが、まぁそんなもんでしょう。
上段左の写真は街角の理容室。/上段右はなんらかの競技場。トルクメニスタンでも最も人気の高いスポーツはサッカーだそうです。/下段左が建て替えられたばかりのアシュカバード駅舎。/下段右はピカピカのプラットフォーム。
駅前のバス乗り場には複数のバスが停まっていましたが、なんせロータリーなので乗ったところでどっちの方向に行くのか読めないため、さっきバスを降りた通りまで戻り、再び西向きのバスに乗ります。停留所を3つくらい過ぎると、初代大統領・ニヤゾフさんの金ピカ像が見えたので降りました。デッカイ椅子にど〜ん座った金像と並んで写真を撮りたかったんですが、左右奥に2人の警察官が立っていてダメでした。地図で確認すると、この通りを南に500mも歩けばルスキー・バザール、その先はホテルです。雨粒もだんだん大きくなってきたことだし、とりあえず一旦ホテルへ戻って傘を借りることにします。とルスキー・バザールへ向かって並木道を歩いていると、お、インターネットカフェがありました。そうだ、大事なことを忘れとった。この単独行動の日にローマ字コラムを書いて日本へ送らなきゃ、ってことを思い出してよかったです。というわけでインターネットカフェへ入り、それなりに苦労しながらローマ字コラムを書きました。このあたりについてはコラムNo.205に書いてありますが、ローマ字なので読むと疲れると思います。で13時、一旦ホテルに戻ります。
さぁ、昼メシをどこで食べるか。これまで食べたのはレストランばかりだから、もっと庶民的なイメージのところに行きたいなぁ、と思ったものの、ガイドブックにはレストラン1軒すら載ってないので歩いて探すしかありませんが、これまで2日間のアシュカバードでそれらしき街の食堂っぽいものは見かけませんでした。ルスキー・バザールの中に食べるところはいくつかある、とイゴルくんが言ってたような気がしたので、行くことにしました。ホテルのフロントで傘を借りたら、赤地に黄色で“CAFE MAX”とプリントされたハデなやつでしたが、まぁいいでしょう、誰が見てるわけでもない。ってことで再びホテルを出て徒歩ほんの3分のルスキー・バザールへ。
◆ルスキー・バザールで昼食
“ルスキー”とは“ロシアの”という意味の語で、つまり“ロシア市場”ってことです。市のド真ん中にあるので、まぁ中央市場です。この構造をどう説明するべきか難しいんですが、写真を見ていただければなんとなく想像つくと思います。コの字型の2階建ての建物に囲まれ、屋根に覆われたアリーナ部分に食料品屋さんがうわぁぁぁぁっっと並び、それを取り囲む2階建てのコの字の1階部分には、お肉屋さん・酒屋さん・雑貨屋さん・本屋さん・文房具屋さんなどの商店が、2階には衣料品店・おもちゃ屋さん・ジュータン屋さんなど数十の商店が並んでいるという感じで、とにかくありとあらゆるものがあります。写真を御覧いただくとわかるように、果物も野菜もどこも山積みです。これだけいろんな店が集合しているわりに混沌感はあまりなく、どちらかというと統制された整然感に満ちています。高級アパート街にはトルコ系の大型ショッピングセンターがありますが、日々の買い物は、国内産で安くて新鮮なバザールだそうです。ま、日本もそうですか。ミネラルウォーターを買いに入った飲料品店には、噂の“ニヤゾフ・ブランデー”や“ニヤゾフ・ワイン”らしきものもありましたが、思ったほど興味は湧きませんでした。市場のみなさんは比較的外国人に慣れているのでしょう、みな快く写真に応じてくれました。
そんななかテイクアウト/イートイン両方可能なKafeも何軒かありました。店の前には羊肉を重ねてまわしてローストするドネルケバブの他、揚げたパンやらいろんなものが並んでいて、ガラスには“Plow Dograma Manty Borek”と書かています。店の中で食べれそうなので入ってみました。とりあえずビールをたのみ、ペロッと1枚のメニューを見ます。けっこういろんなものがありましたが、中央アジア式羊の炊き込み御飯“プロフ”と、数日前にイゴルくんが食べていた蒸し餃子“マンティ”以外はわかりません。まぁいいやってことで“マンティ”を注文しました。バラの花のように包んだ大きめの蒸し餃子にズメタナ(サワークリーム)がぶりぶりかかってました。日本や中国のように醤油や酢をつける雰囲気もなかったのでそのまま食べてみると、羊の肉汁が口の中に広がりズメタナの酸っぱさとともに、あまり経験したことのない味覚に包まれました。なもんですから塩や胡椒をぶりぶりかけながらビールで流し込み完食。マズかないんだけどウマかない、というところですが、これがトルクメニスタンの庶民の味だと思えばそれはそれで楽しいのです。
上段左の写真は、店頭でドネルケバブを売るお嬢さん。/上段右は、飾り気のない店内。/下段は、ズメタナがぶりぶりかかった中央アジア式蒸し餃子“マンティ”とトルコのビール“EFES”。
◆再び市バスに乗る
さ、再び市バスに乗って街をうろつきます。今度は街の南の高級アパート街に行ってそのあたりを歩いてみよう、ということにして、南に向かいそうな方向のバスに乗ってみたものの、すぐに西向きに左折したあと右折左折をくりかえすもんですから、あららららと思っていたらほんの3分でさっさと終点のテケ・バスターミナルに着いて降ろされました。仕方がないのですぐ発車しそうな別のバスに乗ってみたら、今度はほんの5分でさっきいたルスキー・バザールの前を通過し、午前中行ったアシュカバード駅の方向に右折したので、ダメじゃん同じとこばっかりだ、と適当に降りました。初代大統領の名前がついた大きなドラマ劇場がありましたが、お巡りさんが2人もいたので写真は撮れません。再び南に向かいそうな方向のバス停を探しながらうろうろします。
いやしかし、無理もないです。何番がどういうルートを走るのかも、行き先表示を見てもそれがどこかすらわからないわけですから。よし、南はやめた、西だ、西に行こう、とイメージ方向を転換して、西に向かいそうなバス停から乗りました。お、今度は大きな通りをまっすぐ西に向かっています。ここでひとりの女性が窓枠の上のほうにあるぶっとい金属の器具に切符を挟んでガチャンと押しました。お、そうか、ここでやっとシステムがわかります。その金属器具で、乗車したという印の細かい穴を自分であけるみたいです。そういえばウクライナの首都・キエフのバスもそんなシステムで、その時は乗り合わせた婦人が教えてくれましたが、ここアシュカバードは定期券なんかの人が多かったのでしょうか、やっと今気づきました。というわけで回数券をガチャッとやり、西に走るバスの外の景色を見ながら、どこで降りるかのタイミングをはかります。もうとっくに持っている地図の外に来ているようです。バスはかなり込み合って私もずっと立ったままでしたが、ある停留所でどぉ〜っと多くの人が降りていきました。車内は急にがらんとしたので、じゃぁそろそろ次あたりで降りてみるか、と降りました。
小さな広場にシャシリクの串焼き場があり、その奥に“KAFE”とネオン管が光る小屋があったので入ってみました。6角形の暗いフロアの壁にテーブルが4つ5つ。中央部分は遅い時間になったらみんな踊りだすのか、がらんと空いています。4席だけの小さいカウンターがあり、若い男性が2人コーヒーを飲んでいました。そのカウンターの端に座って若い女性店員にロシア語でビールをたのみます。街はずれのカフェにひとりでやってきて何も言わずにただビールを飲む日本人に、2人の店員も無関心を装いながらやや緊張しているようですし、もちろん私も緊張します。しかし言葉ができないので話すことは何もなく、打ち解けることもないまま15分。お会計をして店を出る時に、カウンターの女性に「写真を撮ってもいいですか?」とロシア語で言ってみると、「どうぞ」と言って奥へ入ってしまいました。
街はずれのカフェ |
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こんなカウンターでビールを飲んだ |
◆白タクにチャレンジ
さぁ、日も暮れ始めてきたのでホテルに帰ります。もう市バスには充分乗りました。次なるステージ、“白タク”にチャレンジです。“白タク”というと、日本ではこれほど怪しい響きの交通機関はないでしょう。前夜、ガイドのイゴルくんにタクシーについて聞くと、黄色い車体の上に『TAXI』とランプがついているのが合法的なタクシーですが、数が少なくあまり見かけることがないので、街の人はみな普通の車に乗せてもらうのが常識的だそうです。「料金は?」と聞くと、特に決まってませんがだいたい2〜4マナト(=75円から150円)くらい、アシュカバード市の端から端まで乗っても5マナトくらいが相場だそうです。「トラブルはないんですか?」と聞くと、それは聞いたことがなく、なのでみな普通に利用するし、イゴルくんも時々乗るそうです。白タク行為は法律では認められていませんが、警察は容認しているそうで、もし万一警察に止められても「友達です」と言えばそれまでだということです。
手を水平に通りに出せば、なにかしら車が止まるので、行き先を書いた紙を見せれば、それでOKだそうです。私の経験で知る限りですが、モスクワでも合法タクシーは少なく、白タク行為が普通に行われますが、やはり言葉の出来ない外国人は地元の人よりも高くとられるのが通常です。「外国人でもだいじょぶですか?」と聞くと「特に問題ないでしょう。ホテル・グランド・トルクメンなら知らない人はいませんし、もしわからなければルスキー・バザールと言えばだいじょぶです。」ってことです。あれだけ写真を撮るときは注意してと言っていたイゴルくんが白タクに関してはなんら忠告しないってことは、だいじょぶなんでしょう。なので今日の私は白タクに乗ると決めていたのです。
通りに手を水平に出してみると、すぐに1台の車が止まりました。温厚そうな人です。助手席の窓から「Hotel Grand Turkmen」と言うと「OK」と言ったので、後ろの席に乗り「サラマリコム/こんにちは」と言いました。走り出して一つ目の信号を越えたところで、早速お巡りさんに止められましたが、免許証を確認しただけで何事もありませんでした。会話もなく走ること10分くらいでしょうか、運転手さんは見えてきたホテルを指差して「OK?」というので「OK」と言い、ホテルの前で車は停まります。ロシア語で「スコリカ・シュトイト/いくらですか?」と聞くと、彼は「ニェット(NO)」と言います。私のロシア語が通じなかったのかと思い、もう一度「スコリカ・シュトイト?」とマナト紙幣を見せながら言うと、やはり「ニェット・ニェット」と言いながら、いりませんよという表情をします。え、お金とらないんすか? めちゃくちゃいい人じゃん、と思いましたが、それはなんだか悪いですし、それじゃ“白タク体験”として成立しない気もしたので、やはり払う意志のイメージを表情で伝えると、「じゃぁ・・・2?」と指を2本出したので、2マナトを渡しました。そんな流れで「写真を撮ってもいいですか?」と言ってみると、ちょっと困りながらもこっちを見てくれたので1枚撮り、「サグボルン/ありがとう」と握手をして車を降りました。トルクメニスタンではこういうのを「白タク」という呼び方はあるんでしょうか。それともこれもまた普通に「TAXI」なのでしょうか。どうあれ、いやぁ、平和な街です。
さぁ、もう充分でしょう。私の単独行動はこれで終わり。あとはどこかで晩ご飯を食べるだけです。ホテルに戻ってしばらく休み、19時過ぎた頃に夕食に出ます。しかしどこにどんなレストランがあるのかわからないので、ホテルのフロントの女性に「このあたりでトルクメン料理のレストランはありますか?」と英語で聞くと、彼女は「Nussay」と言いましたが、「あぁ、それは昨日行きました。他には?」と聞くと、「ホテル・トルクメニスタンのレストランがグッドです」というので、「スパシーバ/ありがとう」ってことでホテルを出て、歩いて3分のホテル・トルクメニスタンのレストランをのぞいてみましたが、なんだかディスコみたいな作りでちょっと暗めだったのでやっぱりやめて、少しホテルのほうに戻り、表に店名が出てないレストランがあったので窓から中をのぞいてみたら、明るく清潔な正統派レストランっぽかったので入りました。場所がらやはり客層は外国人ばかりで、席についてメニューを見ると『Indian & Chinese Restaurant TANDOR』と書いてありました。インディアン&チャイニーズかよ、と思いましたが、まぁいいでしょう。メニューには、インディアン、チャイニーズの他に、昨晩の『Nussay』同様、スパゲティ、ピザ、ハンバーガーもありました。さぁ、どうしよう。思えば初日のモスクワから5日間、夜は肉ばっか食ってるしなぁ、かといってここで魚にトライする勇気はなく、はぁ、どうしよう。ピザ? ピザか? でもなぁ、わざわざトルクメニスタンに来て“ピザ”ってのもなぁ。でも正直肉食う気もしないし、ピザでいいか、いいよね、誰が見てるわけでもない。ってことでサラダとピザを注文しました。そして私にとって最も重要で、現段階の私の中で最も長い文章のロシア語「ダイツェ・ムニェ・アジン・スタカン・クラスナエ・ヴィノー・モルドフスキー・パジャールスタ」と言ってみると、うまいこと通じたようで、モルドヴァ産の赤ワインがグラスで運ばれてきました。うぅん、そろそろ本気でロシア語やんなきゃなぁ。ピザは懐かしい喫茶店風ピザでこれがたいへんにおいしかったです。店を出て昨日のアイリッシュ・パブでシメの1杯を飲んで、ホテルに帰って寝ました。
4月15日(水)晴れ
◆ニッサ遺跡へ
さぁ、トルクメニスタン旅行の最終日。11日が雨だったのでこの日に変更した“ニッサ遺跡”を見学します。イゴルくんの判断は正解で、今日は気持ち良く晴れました。街から西に18km、ほんの20分でニッサ遺跡の管理事務所に着きました。管理事務所と言っても小さい建物の中に机をひとつ置いて管理人さんがひとりいるだけのシンプルなものです。管理人さんの傍らになんだかステキなオブジェを発見。聞くと管理人さん手づくりの電気トーブだそうです。あまりにステキだったので写真を撮らせてもらいました。管理人さんは私の目を見てなにやら長いトルクメン語を話しました。「ニッサ遺跡へようこそ。ごゆっくりお楽しみください。そしてあなたの旅が安全で素晴らしいものでありますように」とイゴルくんが訳してくれました。「サグボルン/ありがとう」と握手をして遺跡へ向かいます。
ニッサ遺跡の管理人さん |
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パンも焼ける手作りストーブ |
ニッサは紀元前3世紀からのバルディア帝国の首都。発掘・復元・補修されているのは全体の35%だそうです。復元補修用の土煉瓦も当時と同じ方法で作られているようで、何人もの作業員と軍のボランティアらしき人たちが作業していました。しかしこれで3つ目の遺跡見学ですから、私も変に遺跡慣れしてしまい、大きな感動はありませんでしたが、天気が良いので気持ちよかったです。遺跡の南側に広がるコピダク山脈には、初代大統領が市民の健康維持のためにと作ったウォーキング・ロードが2コースあり、ニッサ側のコースは8km、もうひとつはアシュカバード市内まで26km続くコースだそうです。行ってみますかと聞かれましたが、いいえ結構ですと答えました。
◆噴水の街・アシュカバード
もう昨日の単独行動で大きなヤマが終わった感じの私ですから、あとは写真をいろいろ撮りながらの1日です。ニッサからアシュカバード市の南側へ抜ける新しい道路を走ります。アシュカバード近郊にはたいへん多くの木が植えられた人口林が多く見られます。空気清浄目的の人口林の面積は年々増加しているそうです。高級アパート街の近くにある独立記念塔へやってきました。ここを中心とする公園はトルクメニスタン独立10周年の2001年に作られたそうです。ニヤゾフさんの金ピカ像の両脇に衛兵がいましたが、ここは写真を撮っていいそうです。初代大統領の金ピカ像はいくつか見ましたが、思えば正面切って写真をとるのは初めてです。ニヤゾフさんを囲んだ金ピカのワシがぶりぶり水を吐いています。近くには、英語では『Ten Horses Park』と言っていた公園があり、トルクメニスタンが誇る“アハル・テケ種”の馬が10の異なる方向に向かうモニュメントもそれ自体が大きな噴水になっています。アシュカバードのこのような記念碑や公園、広場には必ず大きな噴水が複数あり、これは砂漠気候のアシュカバードに於いて、湿度を上げ温度を下げる効果があり、特に夏季にはその存在の重要性を感じるそうです。
独立記念塔とニヤゾフ像 |
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Ten Horses Park |
◆改めて写真撮影について
昼食は高級アパート街の高級レストランで牛肉と野菜を煮込んだロシア式スープ“グーラッシュ”を食べながら、写真撮影についてもう一度イゴルくんに細かく聞きました。というのは、なにがどのくらい撮影禁止なのかが結局よくわからなかったからです。で、結局どういうことだったかというと、報道や取材の場合は厳しい規制があるものの、観光客が写真を撮ること自体は禁止されているわけではなく、しかし政府関係の建物は撮影禁止。また政府関係以外の建物にも撮影禁止のものがあるそうです。しかし、街中の建物の多くは白い大理石張りで似た形状のものが多く、また観光客が行動する街の中心部には政府関係の建物が多くあり、そんな中どれが政府関係なのか、どれが撮影禁止なのかは、観光の外国人には容易に判断できないため、“基本的に撮影禁止”と言っておいて、撮りたい場合はその都度ガイドさんに聞いて、ガイドさんが撮影OKかNGかを伝える、ということにしているそうです。
実際過去に、大統領府を撮影した団体客のひとりが警察官にカメラを没収されて、それを返してもらうのにたいへんに苦労したことがあったそうです。なので、昨日の私の単独行動についても“基本的に禁止”ってことにして、「撮る場合は必ず警察官がいないことを確認して」と言っておいたほうが確実だったというわけです。なるほど、理解しました。ってことは、アシュカバード駅の駅舎を撮るのに、あんなにまわりを確認しながら盗撮みたいなことやる必要はなかったんですね、と言うと、いえいえ、駅は撮影禁止なんだそうです。はぁ〜、じゃぁやっぱ盗撮系は正解だったんですね。うん、観光客には判断つきません。トラブルを回避するには“基本的に撮影禁止”と言っておいたほうがいいみたいです。
昼食後はCDを買いにルスキー・バザールへ。トルクメニスタンの伝統音楽と最近のポップスの2種類のCDを、と訳してもらい、複数出されたオムニバス盤からアテズッポで3枚ほど選んで買ってきました。トルクメン・ポップスはすでに充分完成された感じで、トルコの影響を強く受けた感じのイスラムビート系ダンスものが多く入っていました。
ルスキー・バザール内のCDショップ |
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トルクメン・ポップスのオムニバス盤 |
◆絨毯博物館と巨大ルフナマ
さて、あとはなんですか。じゅうたん博物館ですか、はい、行きましょう。ルスキー・バザールのすぐ近く、ホテル・グランド・トルクメンの隣にそれはありました。ここも他の博物館同様、専門の案内人に説明を受けながら館内を回ります。トルクメニスタンは絨毯作りの歴史が古く、製品の質も世界的に高いそうですよ。トルクメニスタンが誇る世界最大の絨毯5つのうち2つがここにあり、うちひとつはソ連時代にモスクワのボリショイ劇場の緞帳として寄贈したものの、重すぎるという理由で受けとられなかったそうです。はぁ、これで遺跡も3つ、博物館も3つ見ました。もう、いいですよね。「他に見ておくものは」と聞かれて思い出したのは、どこかの公園にニヤゾフさんが書いたトルクメン人の精神の本『ルフナマ』の巨大な本型モニュメントがあって、毎朝8時にそれが開き、ニヤゾフさんの朗読音声が流れる、というのをなんかのテレビで見たことがあります。そこに行くことにしました。街の南東のほうにあった巨大『ルフナマ』、ここもやはり噴水仕立てのモニュメントです。私の見たテレビの情報は少し違っていたようで、イゴルくんによると毎朝8時に開くわけではなく、祝祭日にのみ1日何回か開く時間があるということです。初代大統領の死後、朗読音声も流れなくなり、現在はなにかの式典や祭典のときに、本を開いて、その開いた白い面をスクリーン代わりに、なにかしらの映像を映し出したりしているそうです。
さ、もうほんとにあとはいいですね。はい、もういいでしょう。ってことで、時間はまだゆっくりあるものの、一旦ホテルに戻って夕食まで再びひとりでぷらぷら街を歩くことにしました。
◆まとめ
ほんの数日間の滞在での印象的ですが、イスラム文化とソ連時代の名残りがいい具合に融合するトルクメニスタンの人々は基本的に静かな感じで、しかしそんな印象とは真逆に、イスラム文化的なんでしょうか、女性の服装はかなりにぎやかな色使いです。また、社会主義国でありながらそのホスピタリティの高さは意外で、心地よいものでした。食事は民族構成と同様に、中央アジア式・ロシア式・トルコ式が混在し、地理的に海の魚は西部のカスピ海沿岸以外ではあまり食べられませんが、レストランはどこもおいしかったです。
ニヤゾフ政権時代には、ほとんどの建物に肖像画が掲げられていたそうですが、現在その多くは撤去され、いわゆる“独裁”的な雰囲気はさほど感じされませんでしたが、ホテルのテレビで国政放送を見ていると、2代目大統領・グルバングリさんがすべての実権を握っている感じは充分伝わります。市民の生活はとても質素なものらしいですが、国自体は豊かで、国民が抑圧されているという雰囲気は感じられません。国の奨学制度で4年間、アメリカ・テキサスの大学で勉強したガイドのイゴルくんはトルクメン生まれのロシア人。現在はトルクメニスタンとロシアの2つの国籍を持っていますが、数年後にどちらかに決めなければならないそうで、「私はトルクメニスタンを選ぶでしょう」と言っていました。
街を走っている車を私のイメージ・パーセンテージでわけると、約60%はLADAやVOLGAなどのロシア車、30%が日本のTOYOTA車、残りの10%はその他のいろんなやつ、って感じでしょうか。黒塗りのメルセデスはすべて政府関係の車ですが、大統領はTOYOTAの4WD車を自ら運転するそうで、ニヤゾフさんもそうしていたそうです。しかし、毎朝夕、大統領が車で移動する場合は周辺の道路がいちいち閉鎖されるそうです。ちなみにアシュカバードで私がずっと乗せてもらってた専用車はBMW。ガイドのイゴルくんのプライベート車はTOYOTAのCAMRYだそうです。中古車を含むすべての車はUAEのドバイ経由で入ってくるようで、来年あたりHONDAも入ってくるみたい、とも言ってました。
最後の夕食は街の南東にある『Horjun/ホルジュン』へ。駐車場のようなトルクメニスタン古来の移動式住居“ユルタ”がいくつも建っているという風変わりな店です。豚と羊のリブのシャシリクを食べながら、グルジア産のワインを飲みました。明日の明け方4時の飛行機でモスクワへ戻るため、ホテルを深夜にチェックアウトするので6泊6日。いやぁ、あっという間でしたが、来てよかったです。楽しい旅行でした。
3週にわたりこれと言ったダジャレも織り交ぜぬまま長々と書いたトルクメニスタン旅行記におつきあいいただいた皆さま、ありがとうございました。おつかれさまでした。この3週の私の力の入りようで、それがどのくらい素晴らしい旅であったかは充分伝わったと思います。少しでも興味をお持ちいただけたとしたら幸いです。そんな私の旅はまだまだ続きます。次はどこかなぁ・・。たぶん次の目的地もロシア語圏になると思います。アゼルバイジャンとか、惹かれますけどね、響き的に。
ところで来週の『金曜コラム』はガラッと雰囲気を変えまくっての宮崎です。4月末に行われたイベント『EARTH LIVE in MIYAZAKI』で19年ぶりに訪れた宮崎について、あくまでサラッと書きたいと思います。
2009/05/15
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