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Friday Column

No.152

『入学式を思い出してみる』

4月8日(火)、今日はこの後のスケジュールにより、ちょっとイレギュラーでの札幌行き日航機内です。東京は昨夜から大雨強風ハロープロジェクト。定刻で出発予定だった09:50発JL515便に乗り込んだものの、駐機場に停まっている状態で機体がぐわんぐわん横揺れするというすごい風と雨。そんな極悪天候のため離着陸が混雑し、結局離陸まで機内で80分ほど待ってました。もちろん携帯電話やコンピューターは使えない状態でしたが、幸い札幌便にしてはめずらしくすいてたもんですから長い足のばして半眠りしてました。な感じでやっと飛行機は高いところまで上がりベルトサインも消えたので書き始めます。

さて、入学式のシーズンですね。羽田空港に来る途中にある小学校門の【入学式】の立て看板を見て気づきました。若いお母さんは強風で変形した傘を必死で握り新入生の手を引いてました。あの立て看板は今頃どっかにふっとばされてるかもしれません。きっと嵐の入学式ってことで記憶に残るでしょう。そんなことから今週は、私の入学式ってどんなもんだったのか、ムリクリ思い出して見ようと思います。

幼稚園入園は、・・・憶えてないですね、まったく。小学校の入学式も、・・・憶えてないですね、じぇんじぇん。のっけからダメじゃないですか。でも、中学入学のことは憶えてます、1975年。入学式自体はちゃんと憶えてませんが、入学時のことはよく憶えてます。このサイトの『History』の写真を見ていただけるとわかりますが、それまでの私は九州初の長髪男子、今の言葉に訳すと“ロンゲ・ボーイ”だったもんですが、中学入学にあたり髪を標準男子的な長さに切らなければならないということで、髪切りまして、それまで“丸顔”だと思い込んでいた自分の顔は、“なんだ、けっこう縦に長いんだ”ということに初めて気づき、それがいいことなのかそうでないのか微妙な感覚に包まれたのを思い出します。

私が入学したのは福岡市立・友泉(ゆうせん)中学校。入学時は10クラス編成でした。ほんの数ヶ月前、小学6年生の3学期に東京から転校してきて私の隣の席になった芦塚さんは目がクリクリッとしたかわいい系美人で、いいなぁ、かわいいなぁと至近距離から想いをよせていましたが、友泉中学入学時は残念なことに芦塚さんとは別のクラスになりました。まぁしょうがないばい、と思っていた入学式その当日に、「やっぱり12クラスに増えますので、もう一度クラスを編成し直します」と発表がありました。おぅ、そりゃラッキー、芦塚さんと同じクラスになるチャンス・アゲイン、カモンカモンです。校区内に比較的大きな規模の、たしか笹の台団地ってのができて、どうやらそこに移り住んできた新入生の登録が急遽増えたってことなんでしょうけど、翌日だったか2日後だったかに改めてシャッフルし直した12クラスの編成が校内に貼り出され、私は1年9組、見事、芦塚さんと同じクラスになりました。ひゃっひゃっひゃっひゃっひゃぁ〜! 笹の台団地万歳! この幸運の波に乗って数週間後に“告白”。それを一旦持ち帰った芦塚さんから数日後に女友達を介して好返事をもらい、晴れてふたりは“両想い”。ひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃぁ〜! しかし“両想い”になっちゃった以上、学校では決して直接話とかできなくなり、そこには“ボクとあのコは両想い”という“自覚”のみが存在するという、なんとも70年代な中学1年生でした。

そんな芦塚さんは1学年が終わったら再び東京へ転校。“両想い”だったのに、たま〜に電話で話すくらいの1年間でした。それでもよかったんでしょうね、“両想い”ってだけで。福岡空港に見送りに行ったら少し泣きながら赤い貯金箱をくれました。うぅん、我ながらいい時代のいい話です。一緒に空港に見送りに行った田村さんに、私の別れ際の態度が冷たすぎると、後でやたら責められましたけど。しかしあの田村さんってのもまたパキッとした正統派美人でね、あのコもよかったんだよなぁ。

さて、高校入学は1978年。白戸真理さん・草野正宗くんでおなじみの福岡県立・城南高校です。でも入学時のことは憶えてない、ううん、憶えてないですね。合格発表の日のことはやんわりと憶えてますが、さっきくらい広がりのある話はありません。でも高校3年間はホント楽しかったです。私の人生の中で最も楽しい時期のひとつです。

でもって、1981年に上京。法政大学の入学式会場はなんと東京・九段の日本武道館でした。小学生の頃になんかのついでに母親といっしょに武道館を見に来たことがあるんですが、そん時はたしか剣道の大会やってました。ってゆうか、それが武道館の本来あるべき姿ですよね、考えてみると。武道館というとコンサートでしか行ったことないって方のほうが大多数でしょうけど、私はそこで剣道も見たし入学式にも出たんですから、なんだかちょっとセレブな気分です。

ま、とにかく大学の入学式は日本武道館。コンサート的にいうとアリーナの後ろのほうの席で、ステージでは学長のお話やらなにやらいろいろあったんでしょう。よく憶えているのは、東側スタンド1階の最前列にいる数十人がずら〜っと並んで終始マンガ本を広げていたことです。おそらく法政一校とか二校とかから上がってきたスライドアップ新入生による“俺たちゃ無関心アピール”だったんでしょう。「やっぱ、東京のやつらは進んどうばいねぇ」と九州人らしく引け目を感じたものでした。入学式自体を記憶しているのはこれだけかもしれません。そしてこの1週間後、北東スタンド2階席からビリー・ジョエルを観ます。

その先は、30歳を越えた頃イタリアで、40歳になる頃にフランスで語学学校に行きましたが、もちろん入学式なんてもんはありません。パリの音楽学校に入る時は、なかなかアグレッシ部なエビソーダがあるんですが、これはまたの機会に別テーマを設けて“フランス人と日本人とアメリカ人”について考える、そんな時にとっておきたい話です。

なんだか尻つぼみになってきたんで、話を友泉中学まで戻して写真を1枚。同じ友泉中の16年くらい後輩で、『豚骨ピストンズ』というバンドのボーカル・豚兄(とんにい)が、「KANさん、友泉中の四つの合い言葉、知ってます? すごいっすよ」と情報をくれたので帰福したとき見に行ってきました。



どうですか、友泉中の四つの合い言葉。あいさつ・団結・挑戦と同じレベルで“掃除”ですよ、ステキでしょう。2番目に“掃除”という並びもスマートですし、“あいさつ”だけはひらがなという心遣いも粋ですね。少し疑問の残る配色も含めて独特のセンスを感じさせます。さすが私を輩出した学校です。でも私ならあえて意図的に誤字を一文字入れることで完璧を追求しますけどね。
【あいさつ・掃除・団結・桃戦】なんてどうでしょう。

さて、そんなある意味・逆に・ある反面・完璧主義の私は現在、思うところあって“すっとぼけ休暇”をとり、帰国後初・3年9ヶ月ぶりにフランス・パリに行ってます。今頃は飛行機を乗り間違えてポルトガル・リスボンあたりにいると思います。というわけで来週はどこかしらのネットカフェからの“ローマ字コラム”です。「出たよ、アレ読みづらいんだよなぁ」と心の中で軽くブーイングしているあなた、そんなこと言うんだったらフランス語で書きますよ、いいんすか。んな感じで懲りずにおつきあいください。


2008/04/11



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