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Friday Column

No.130

『文化祭の無責任な思い出』

あぁぁ、書くことないんですよ、今週。ないないないって思いながら気がつきゃ7日(水)になっちゃいまして、明日8日(木)は丸の内で弾き語りなもんですから、今日中になんとかしなきゃってことで、書いてます。先週末はたまたまですが、明治大学やら日本大学やら東京農大やらの文化祭やってる横を通りました。「文化祭かぁ・・」ってことで、今週は文化祭について記憶をたどって書いてみますが、別におもしろくはなんないと思います。だって“おもしろかったぁ〜”って思い出ないですから。「よく、憶えてるよねぇ〜」程度の雰囲気でさらっとお読み流しください。

いきなり1967年、それが文化祭というものにあたるかどうかはわかりませんが、東田島カトリック幼稚園では【おゆうぎかい】というものがありました。ストーリーにそって時おり語りが入るレコードに合わせて踊る、今思えばミュージカル風の“さるかに合戦”で、私は“猿”。人生初のステージでいきなり主役デビューでした。木に登る場面では、その木登り演技が秀逸すぎたのか、父兄の皆さんから大歓声が起きたのをハッキリ憶えています。相当かわいかったんでしょうね。

田島小学校の時は、いわゆる文化祭的なもんはなかったような気がしますが、“近接学年集会”と呼ばれるものがありました。つまり、1年と2年、3年と4年、5年と6年、と2学年ずつで体育館に入ってなんらかの演し物をやるという催し。6年生の時には「東京からの転校生を仲間はずれにしてからかう」という今で言うイジメに近いものがクラスの中で実際に起こり、結局は担任の磯崎先生がこの問題を学級会でみんなで話し合わせるということでうまくとりまとめ、その後、道徳のテレビのようにイジメはなくなり仲良しになりました。そして、来る“近接学年集会”で「この事件を題材に劇を作りなさい」ということになり、しかも「かんくんが台本を書きなさい」となぜか指名されました。主役デビューの7年後には脚本家デビューです。

福岡市立友泉中学校は毎年文化祭がありました。1年生の文化祭で見たブラスバンド部の演奏、『闘牛士のマンボ』という曲で、当時3年生の峰さんがアルトサックスのソロをニヒルに弾くのを見て、「よし、これだ」と思い、早速ブラスバンド部に入部しましたが、アルトサックスの空きはなく、近いところでとりあえずクラリネットを練習しました。翌年、予定どおりアルトサックス担当になり、文化祭だったか卒業式だったかで、何らかの行進曲みたいなのは演奏したと思いますが、よく憶えてません。そんなうちに中学生らしく男女交際も忙しくなり、部活なんかにはほとんど顔を出さない日々が続きました。上級生が退部したあと、ひさしぶりに部活に行ってみると、次期部長がなぜか私に決定しており、つまり欠席投票で部長にされちゃってたわけで、これがなんだかわかんないけどいいキッカケになり「ちょうど、やめようと思ってたんだよねぇ」ということにしてブラスバンド部をさっさと退部した私は無責任中学生です。

ビートルズのコピーバンド『The Meatles』が遂にフルエレキ装備になったのもこの時期で、「3年の文化祭にはじぇったい出よう」と意気込み、文化祭出場者を決める“オーディション”で、The Beatlesの『HELP!』を演奏しました。しかし、1977年当時の福岡の市立中学の先生方にはまだまだ“エレキギター=不良”という単純な解釈が残っていたようで、実は“オーディション”という名の振り落とし会だったのです。出場3グループ中唯一、止まらずに最後まで演奏し切った私たち『The Meatles』は不合格とされてしまい、女の子二人のフォークデュオ『ジョーカー』が合格します。しかし、ある日の放課後の体育館で行われたこの“オーディション”のデカイ音を聞きつけて体育館に集まった多くの生徒の、ステージを降りた私たちによせる憧憬の視線は、それまでには感じたことのない、私にとって全く新しいものでした。そして、それまで振り向く気配さえなかったスレンダー・キュートな手塚さんは、私とおつきあいすることになります。「よし、人生はバンドだ!」と、心からそう思った中学3年生でした。今もかわらずそう思ってます。

福岡県立城南高校の文化祭は3年に一度、私が入学した78年がその年にあたり、しかも7月だったので、まだ新しいフレンドネットワークが確立される以前だったこともあり、クラスの団結などという言葉とは縁遠い状態での開催。学級会で話し合い、誰が言い出したか“お化け屋敷”という案が出ると、「それでいいっちゃないと」と、特に参加意識のない票が集まりなんとなく決定。誰が主になって仕切ったのかはわかりませんが、たぶん本田が文化祭委員だったような気がします。それでもって、場所は“階段”ということになり、校舎の端っこの階段1階から3階までが“お化け屋敷”の会場となり、『よつや階段』って名前になったんじゃないかと思います。文化祭前日、階段の窓に暗幕を張って外光を遮断し、誰かがどこからか持ってきた竹で階段全体を竹やぶに仕立て、参加意識はなかったはずなんですが、だんだん盛り上がってきて、当日はとにかく顔に絵の具を塗りたくって真っ暗な階段の竹やぶに隠れました。最初は「うわぁ!」なんて驚かしては喜んでただけだったんですが、だんだんどさくさにまぎれて「胸触った」「お尻触った」みたいな話になり、気がつきゃ“痴漢屋敷”として校内に噂が広まったようです。それからというものパッタリと客足が途絶え、顔に絵の具を塗ったまま、暗闇の竹やぶでヒマなお化け同士雑談する、みたいな意味のない時間を過ごしました。久しぶりに女子が来たってことで、よろこびいさんでお触りしようとしたやつが、同伴の上級生男子に腕をひねられて腹を蹴られた、ってことでテンションは一気にぶり下がり。そんなうちに悪い噂を聞きつけた先生からの調査が入り、「バカバカしい、だいたいこんなのやりたくないもんね」ということで私は一抜けた、顔の絵の具をさっさと洗い落とし、他の演し物をぷらぷら見に行った無責任高校生です。

大学に入ってからは、バンドとバイトに明け暮れる毎日でしたので、おかげで留年しましたし、在籍5年間、どのような学園祭が行われていたのかすら知らなかった私は無関心大学生です。

というわけで、私の文化祭の思い出をダァ〜っと書いてみましたが、予定どおりになんもおもしろくなくてごめんなチャイナタウン。いやね、なんせこの時期、なぜか曲の依頼が3曲もふってわいたもんですから、急にたいへんになっちゃってですね。しかしそんなことで、すでに決定しているゴルフのお約束2件をキャンセルするなんてのは、スポーツマン精神に反しますからね、ゴルフはちゃんとやりますよ。だからこそたいへんなんですね、原稿どころじゃないんですね。というわけで時間がないからおもしろくなくてごめんなチャイナドレス、でどうにか今週は乗り切ろうとしている私はなんとも無責任コラマーです。あぁ、こらまぁ。当時のイキな写真でも貼り付けてみるって手もないこたないんですが、11月28日に発売されるベスト盤『IDEAS』の初回盤ブックレットの中で、1歳から45歳までの私の顔をダァ〜っと並べるというページも作ったりしましたんで、そちらを楽しみにしていただくとして今週はこのへんで逃げるようにほなサイババ。というわけでなんとか書き終えたのは8日14時半、これから丸の内へGO!

2007/11/09



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