No.118
『もしオレが高野連だったら』
先日、高校野球が始まった週の『KANのロックボンソワ』は、これといって事前に選曲テーマがなかったもんですから、STVラジオの音源資料室で“高校野球”関連の曲をなんとなく探していたら、すごい曲をみつけてしまいました。
財津和夫さん率いる“チューリップ”の1975年のアルバム『日本』のB面最後に収録されている「甲子園 –組曲-」。聴いた感じの私の推測では、財津和夫さんの作ったストーリーに沿って、財津さん・姫野さん・安部さん・吉田さん・上田さんのメンバー全員で少しずつメロディを作り繋げ、自分が作ったメロディは責任もって自分で歌う、みたいな感じで完成したであろう9分30秒を越える“組曲”です。私のようなビートルズファンには「きっとあのあたりの感じをやろうとしてるんだな」というイメージがわかります、とはいっても聴き進む途中で正直言ってかなりヘンテコな雰囲気におそわれてしまうのはいなめなめなめなめませんが、そこを乗り切って浣腸ではなく完聴すると、それはそれは感慨深い大作です。
「Fly, fly, fly, 飛べよ白球、どこまでも・・・」とはじまる歌詞のストーリーは、チューリップの作品である以上それは福岡と考えるのが自然なんですが、ある地方の高校3年生の野球部員はライトで8番だけどレギュラーです。そんな主人公が甲子園に出場することが決まりました。すると3年2組の可愛いあの娘との仲良くなり夢のような日々が続きます。甲子園へ向けての出発の日は、駅に市長さんまでやってきて寄付金までいただいちゃって、見送る大人は皆「勝ち負けは関係ない、青春をぶつければそれでいい」と言います。「ほんとにいい人たちだ」と感動します。甲子園での試合、9回裏2アウト満塁で主人公は簡単なライトフライを落っことしてしまい逆転負け。“ぼくはエラーをした男”。町に帰ると、出迎える人はなく、母親は雨戸を閉めて渋い顔。3年2組のあの娘に電話をしたけど、つらい言葉とともに恋は終わります。「Fly, fly, fly, 飛べよ白球、どこまでも・・・」とそんな歌でした。
そう、そんなイメージなんですよね、高校野球って。ど〜も、なんというか、“野球=ベースボール”としてのゲーム感に乏しいというか、なんだか選手がかわいそうに思えてしまう瞬間が多くてね、高校生くらいまではやってる期間中はなんとなく見てましたけど、大人になるにつれてだんだん見なくなり、ここ十数年はほとんど見てません。
あれはたしか92年でしたか、星稜高校の松井選手が4打席連続で敬遠された一件。それはそれで仕方のないことだと私は思ってました。だって、後にジャイアンツの4番を打ち、その後にはアメリカ・メジャーリーグのヤンキースで活躍するくらいの、それまでの高校野球では考えられなかったようなとんでもないそれこそ”怪物”が現れたわけですから、そんなんにボッコボコに打たれて、厳しい練習に耐えぬいた青春がこっぱみじんに砕かれることは目に見えちゃってるわけですから、そんな恐ろしい打者を敬遠するのは、野球のルールに乗っとった充分に正当な“策”である、と私は思ってました。しかし、テレビはやんややんやと過熱報道し、敬遠したピッチャーは卑怯な高校生投手という扱いをさけられませんでした。でもまぁ、テレビですからね、基本的には視聴率を稼げれば被写体の気持ちなんてどうだっていいんですから、まぁそれも仕方ないのないことだ、かわいそうに、と思ってました。しかし、数日後“高野連”が、この4連続敬遠四球について“高校生らしくないプレー”とコメントしたのには、ハッキリ言ってガックリきました。
当時の高野連が意味する“高校生らしさ”とは何だったのでしょうか。打たれるとわかりきっていても敢えてストレートで真っ向勝負して砕け散ることを“高校生らしさ”というのでしょうか。そういえば同じ頃、なんかの試合で、盗塁失敗だったかフォースアウトだったか、とにかくセカンドでアウトになってチェンジになった走者が、肩を落としてゆっくり歩きながらベンチに戻っている時、審判が“走って戻りなさい”と注意したことがありました。たぶんそれもひとつの“高校生らしくない戻り方”だったのでしょう。高野連的には高校生たるもの盗塁を失敗しようが、一瞬も肩を落とすことは許されず、機敏に次の行動に移らなければならない、・・なのかもしれません。ボール・ストライクの判定を不服だとして抗議しちゃったりなんかしたら、もうそれこそ“退学モノ”なのかもしれません。
ちょっと話を戻して松井の4連続敬遠の件。敬遠したのは高校生投手の判断ではなく、おそらく立派な大人である監督の指示によるものだと考えるのが自然です。じゃぁ、なぜ監督は全打席敬遠を指示したのでしょうか。そりゃそうです、トーナメント形式の高校野球ですから、1回負けたらそれで終わりなのです。監督の立場からすれば、打たれるとわかっていても正々堂々真っ向から勝負して打たれて負けて青春こっぱみじんの高校生はまだいいのかもしれません。しかし、監督は責任者です。多額の寄付金や援助金を受けて、地元の皆さんの応援を背に甲子園にやってきて、あっさり負けてハイおしまい、というのはたいへんにマズイわけです。わかるでしょう。松井への敬遠は当然の策です。そしてこっちの走者がなんとか3塁までたどり着いたら、あとはとにかくスクイズです。緊張にがんじがらめにされた教え子のヒットなんて期待する余裕なんかありません、とにかくスクイズ、それも簡単に見破られるスクイズしかないのです。見破られて外に大きく外されたら飛びついてでもスクイズです。そしてスライディングは、キャッチャーの位置・向きに関わらず、有効か無効かに関わらず、“必ず頭から”突っ込まなければならないのです。もしアウトになったって頭から突っ込んでユニフォームが土だらけになることで、“死ぬ気で突っ込んだ”証しを残さなければならないのです。・・・こういうシーンをたまたま連続して見ちゃったりすると「なんか・・、野球じゃないよ、これ」と感じてしまうのは私だけではないでしょう。8月の半ば、時期的にもちょうどタイミングが合うこともありますが、高校野球を見ていると、どうも、なんというか、軍隊っぽいというか、そんな重苦しい何かを感じてしまうのです。そんな時期に日本に旅行にやってきた西洋人が、照りつける太陽の下で手を強く降り、足を高く揚げて行進する高校野球の開会式をたまたまテレビでみちゃったりすると、「これは何か軍隊に関連する式典ですか?」と思ってしまっても無理はないのではないか、そんな風にさえ感じでしまいます。
今回はあまり爽やかでない文章でごめんなさいね。ここから先は建設的に行きます。とにかく、はっきりわかっているのは“まだ高校生だというのに、一回負けたらすべてが終わり”というシステム自体が大きな問題だと思います。例えば、各都道府県大会を戦い抜いて全国大会まで勝ち上がったら、せめて3試合はやってその勝率を争う形式にするべきでしょう。もしオレが高野連だったらそうします。そのためには、単純に考えると大会期間が今の3倍に延びることになります。それでは高校生の夏休み期間内に開幕し閉幕することが不可能ということにもなってきます。だとしたらこの際、高校野球の聖地=“甲子園”という考え方を捨てるしかありません。ってことで、甲子園球場・大阪ドーム・神戸グリーンスタジアム等に分散して開催してはどうでしょう。いや、甲子園という伝統を捨てる以上もはや関西地区にこだわる意味もないわけですから、そう、他競技の全国大会のように、毎年、あちこちの都市で開催すればいいんですよ。来年は札幌ドーム・札幌円山球場・旭川スタルヒン球場の3カ所で開催とか、その次の都市は福岡ドーム・北九州市民球場・藤崎台球場で開催とか。うんにゃ、そんなんやあらへん、どうしても甲子園や、というのであれば、ベスト4だけ、つまり準決勝・決勝だけ甲子園で開催ってことで手を打ちましょうよ。
なにが言いたいかというと、とにかく“一回負けたらすべてパー”というシステム、なにがなんでもどんなにカッチョワルイ作戦でもどうにかして勝たなきゃダメなのよ、というプレーヤーにとっても見る側にとってもおもしろみのない、どころかなんだか気の毒になっちゃう現状を打破・ダハ・ダハ!したいわけです。少しでもネクストチャンスを残しながら、少しでも余裕を持って練りに練った作戦のもとにプレーすることによって、ベースボールという駆け引きに満ちた極めて精神的な球技が美しく成立するわけで、そしてプレーする高校球児も普段の練習の成果をより発揮できるのです。それではじめて、勝っても負けても青春なのです。と私は思ってます。
しかし、別の問題も発生します。招致合戦です。『2012年こそ高校野球を埼玉県に!』とか、『High School Baseball Fes. In OKINAWA!』とかね。これは地域活性にはもってこいですから、どんどん企業の融資がのかって、いつのまにか高校球児のユニフォームの肩や帽子にはいろんな企業名がプリントされ、各地の出身アーティストによる招致イメージソングなんてのが乱発して・・、あぁぁ、なんかちょっと考えただけでヤになってきました。 やっぱり甲子園でいいです、今のままで、プレーする高校生がそれでよければ、ね。
でもひとつだけ、あの“勝ったら校歌斉唱”は、逆のほうがいいでしょう。負けたほうが校歌を歌って去ってゆく、そうすると出場全校の校歌が聴けるわけですから。負けて去る時はワンコーラスで、優勝したらフルコーラスとかね。そんな感じで今回はあまり意味なく書き過ごしてみました。で、高校野球って今どうなってんでしょうか。
2007/08/17
|