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Friday Column

No.016

『次はいよいよじゃがいもです』

さぁ、ついに新開設しましたこのサイトの更に奥にあるハイイマジナブルなセレブための有料サイト『北青山イメージ再開発』。5月20日の当オフィシャルサイト開設から104日、9月1日の『北青山イメージ再開発』オープンで、このオフィシャルサイト計画の基本的段階がやっと完成。一旦乾杯したい気分です。いったいどのくらいの皆さんに会員登録していただけるのか、また有料サイトの内容に御満足いただけるのか、ってゆうか無料サイトだけでも充分楽しめるものでなければならない、という期待や不安やその他モレモレで胸がおっぱいです。またこのあとまだ無料サイト・有料サイトともにそれぞれの成長計画がすでに用意されていますので、いろんな作業は続いてゆきます。いやぁ、なんつったって作ってて楽しいですからね、そのことが見てくださる皆さんになんとなく伝わってればいいんです。

さて、今回は音楽業界から農業界に転身した私の友人・多田勉(ただつとむ)氏について書きます。多田氏は現在、北海道はニセコに自分の農園を持ち、いちご、じゃがいも、コーンにアスパラといろんなものを作っていて、そのうちのなんらかの収穫時期になると送られてくる「多田農園メールマガジン」がつい先週届きました。今回はとうもろこし。メールマガジンの最下部に「友達にドンドン紹介してください」と赤文字で書いてあったので、このコラムを読んでいただいている皆さんを急遽“友達”と解釈し、多田氏本人に「コラムに書いてもいいですか?」とメールで聞いたところ、「こんな私でよければ」と返事が来ましたので書いています。導入部分なので一応“多田勉氏”とかなんとか書いてますが、以下は“多田っち”ってことですすめます。

また、これから書く内容は多田っちへのインタビューをモトにしているわけでもなんでもなく、本人には「書くよ」とひとこと言っておいただけで、あとはすべて私の記憶のみをたよりに書きますので、多田っちの人生、その歴史において、年数が違ってたり、順序が逆だったりすることもあるかとは思いますが、これを読みながらそれを気にする人がいるとすれば多田っち本人と奥様くらいだと思うので、読んでいただく皆さんはなんら気にせず、すべて誇張表現など全くない事実として受けとめましょう。はっはっはっはっは、ではどうぞ。

1987年、私のデビュー当時から、私のレコードの出版権の一部を持っていた『日音』という音楽出版社の“KANの担当者ディレクター”としてスタジオに出入りしていたのが多田っち。ですから最初は友達というよりは担当者とアーティストという関係だったわけですが、年齢が近いこともあり、スタジオで作業するのと同じくらいの時間、エロ話しながら酒を飲んでたような、そんな感じ。レコーディングスタジオで次々に音が重ねられて行き、曲の輪郭が浮き上がってくる頃になると、多田っちは「いいじゃんいいじゃん」とソファーから立ち上がり身体をクイクイ動かします。そのサウンドに特にいいグルーブを感じた時には、多田っちは自らの股間を両手で握りながら「いいじゃんいいじゃん、来るねぇ〜」と小躍りします。そのうちこの小躍りがスタジオ関係者の間で“きんたま踊り”と呼ばれるようになり、この“きんたま踊り”がでると、その曲は最終的にかなり良い仕上がりになったものでした。

1988年、3枚目のアルバム『GIRL TO LOVE』リリース後のある日、多田っちが「KANちゃん、香港行かない?香港」と言ってきました。前年87年に初めての海外、中国・大連を訪れ好印象を持っていた当時の私はまだ、大連と香港を同じ中国だよね?と解釈してしまうほど未熟者だったっこともあってとりあえず簡単にOKし、香港はまかせろ系の空気を出しまくっていた多田っちに旅行手続きのすべてをなんとなくまかせました。8月始め頃だったでしょうか、成田空港に向かうリムジンバスのなかで、実は“海外旅行どころか、飛行機に乗ることすら初めて”ということを多田っちが告白。なんだそうだったのかと急に上の気分になった私は、「飛行機に乗る時は靴を脱ぐ」とか「機内では飲み物は1杯だけしか飲めないのでビールかコーラかコーヒーか搭乗前までにマジで考えてたほうかいい」とかいろんなデタラメを言いながら初飛行の多田っちに必要以上のプレッシャーをかけました。香港では、トラムに乗って船乗って、カエルを食べて夜景を観て、まぁふつうの香港ツアーだったんですが、この多田っちとの旅行で、結果的に私にとって最も重要だったことは「次からは旅行は絶対ひとりで行こう」と強く感じたことです。2年後の90年9月の誕生日に私は初めて独りで言葉の通じない中国・北京をおそるおそる訪れ、地図を拡げてもどっちに歩いていいのかわからない、ビール1本すら注文できない自分の無力さを28歳にして痛感します。このことはそれからの私の人生に大変大きな意味を持ちます。いやぁ〜多田っち、今さらながら、あの時私を香港に誘ってくれてありがとう。そして「旅行は絶対ひとりで行こう」と思わせてくれてありがとう。とまぁ、そんなことがありました。

そんな私も多田っちの人生においてひとつ大きな働きをしています。たぶん、89年か90年くらいだと思いますが、ある時ふたりで世田谷区・下北沢で酒を飲んでて、で、なんとなくふたりとも“相手がおごってくれるだろう”と思っていたら、実はふたりとも3000円ぽっちしか持って無く、1軒目の焼き鳥屋でお勘定したら所持金はふたりもろともスッカラカン。「どうすんだよ〜、もっと飲みたいよねぇ〜、ホントに持ってないのぉ?」なんて言い合いながらぶらぶら歩いている時にある名案を思いつきました。当時下北沢に住んでいた私の友人で、下北沢の何軒かのお店にボトルを入れてあるはずの“小山さん”(のちにTOKYOMANの歌詞に登場)を電話で呼ぶ。→しかし男ふたりで「お金なくなっちゃったんですよ〜」と電話したところで、来る訳ない。→そこで「女の子が余っちゃって困ってんですよねぇ」と大ボラを吹いてみたところ、「しょうがねぇなぁ、じゃぁ、○○○ジェーン(店名)にとりあえず入ってて、あとで行くわ」ってことでいとも簡単に作戦成功。ひゃっひゃっひゃっ。で、指定されたお店に入り、多田っちとふたりで小山さんを待つわけですが、「ギャルが余ってるとか言ってたのどうすんの?」「えぇ?、じゃぁ多田っちがギャルね、それでいいじゃん」「オレ?おれかよ〜、別にいいけどさぁ」「タダ子で〜す、よろちく〜、とか言っときゃぁ“どうせ、そんなことだと思ったよ”ってことになって、あとは酒飲んじゃえばいいんじゃないの」なんて言ってるころに小山さん登場。私はその時点でもう5〜6年の付き合いのある小山さんですが、多田っちは小山さんとは初対面。それでも多田っちは即席の作戦通りに「タダ子どぇ〜す、はじめまちてぇ、よろちく〜」と小山さんに身体をスリスリ、予想通りに小山さんは「どうぜ、そんなことだろうと思ったよ」と飲み始めたのですが、いつまでたってもキモチワルイ女言葉で喋り続ける多田っちに小山さんはだんだん本気でムッとしたりしてました。

そんなイタダケナイ雰囲気でもとりあえず飲みは進む中、「ところで多田っち、好きな女の子、いないの?」とふってみたら、「それが、いるんだよ〜、ひとり好きなコが〜」「え、どこのコ」「同じ会社のさぁ、おれのななめ前に座ってんだけどさぁ、好きなんだよなぁ〜」「好きだって言ったの?」「言うわけないじゃん」「なんで?」「なんでって・・、言えねぇよ〜」。こういう時っていい意味でのお酒の勢いがつくんですよね。「電話番号知ってんの?」と聞くと「うん、わかるのはわかる」ってことで「よし、オレがまず電話して、相手が出たら多田っちにかわるから、そしたら“こんばんは、好きです、つきあってください”って言えばそれでいいじゃん、ねぇ小山さん」。小山さんもなんかわかんないけど「さっさと電話したほうがいいんじゃないの、もう遅いし」てな感じで、確かにもう夜中の12時になっちゃうよ、ってことで電話しました。「もしもしKANですけど、こんばんは。ウルトラ夜分にすいません。では多田君にかわります」ってことで無理矢理受話器を押し付け、そしたら多田っち、その電話でスパッとホントにストレート告白。もちろん彼女は即答を避け、結果は保留になったものの、「お前はスゴイ」「男っぺぇ」「エライ」ってことで小山さんもすっかり上機嫌になり、さらにぐいぐい飲みました。

で、気がつきゃ数カ月後、多田っちはその女性とちゃんとおつき合いしてて、あれよあれよという間に結婚して、今は大自然の中で一緒に野菜を作ってるわけですよ。そのキッカケの電話を無理矢理かけたのがこの私です。ねぇ、いい話でしょう。その時の飲み代を全部払ったのは小山さん、このことも忘れちゃいけないですよね。

その後、多田っちはレコード会社に転職し、いろんなアーティストのプロモーションなんかをやっていましたが、90年代後半のある日、「KANちゃんオレ音楽業界やめて北海道で農業やるわ」ってことで、家族を連れて北海道に農業就職。何年もの研修で基礎からいろんなことを学んだのでしょう。私がパリに行く前の年あたりに初めてメロン送ってくれましたっけ。で、2003年、ついに自分の畑を持ち、独立しました。それが『多田農園』です。翌年は台風でビニールハウスが吹っ飛ばされたりと、苦労もいろいろでしょうが、それだけに“収穫”には私たちにははかりしれないよろこびがあるのでしょう。そんな“とうもろこしができました”というのが先週とどいた多田農園メールマガジン。

最近はスーパーでも、お米や野菜の陳列棚に作り手の名前と顔写真が貼ってあったりして、だからどうだってわけでもないんですが、誰がつくったのかハッキリ提示してあるってのは気分的に安心できると言うか、いいもんです。で、このコラムここまで読んじゃったお客さん、今回は作り手の名前どころか、前の職業や初めての飛行機、海外旅行、あげくのはては奥さんとのなれそめまで知っちゃった以上、その人が作った“自慢のとうもろこし”、これ食べとかないわけにはいかないんじゃないんですかねぇ。というわけで下記URLをとりあえずのぞいてみてください。メールマガジンによると今回の収穫は9月10日までだそうですので、もろこしマニアの方は急いでください。「次回はいよいよじゃがいもです」とも書いてありました。“いよいよ”って、なんでしょうね。

   ニセコ町多田農園  http://www15.ocn.ne.jp/~farmtada/
   ご注文はトップページ下中央の「メールはこちらから」からどうぞ

※そんな多田っちの声がきける曲
私のアルバム『ゆっくり風呂につかいりたい』2曲目『決まりだもの』の曲中2分26秒あたりから「そりゃいいよね」「時間かかっちゃうんだよなぁ〜」「美人!美人はいいよね〜」と心から言っているのが多田っち。

※ No.014のクイズの答えは、1.対口形でした。
中国式発音記号(ピンイン)は「dui kou xing」。この聴感音をあえてカタカナ表記すれば「トゥイ・コウ・シン」というイメージです。私の持っている中国語事典には載ってませんでしたので、中国人の知り合い“馬 (Ma) さん”に教えていただきました。ちなみに「2.没唱儿、3.口把克」はただのデタラメです。

2005/09/02


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