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History of KAN

初海外・大連の街を見渡す

初海外・大連の街を見渡す
平野治氏をはじめとする多くの方々の協力により、ライトリンクスコーポレーションに所属(88年にアップフロントエージェンシーに吸収合併)。初めての仕事はなんと大林宣彦監督の映画『おかしなふたり』のサウンドトラック製作であった。87年3月24日、渋谷LIVE INN にてKANとしての初ライブを開催。4月25日、果たしてポリドールレコードから『テレビの中に』(アルバム・シングル同時発売)で静かにレコードデビュー。当時のインタビューでは「レコードはできたけど就職して名刺を作ってもらったのと同じ。仕事として成功しなければ意味はない」とかなり生意気な発言をしていたことを憶えている。ある意味予想通りに売り上げが伸びない状態にもかかわらず、業界内外のハイセンスな音楽ファンの皆さんに支えられデビュー盤『テレビの中に』から『NO-NO-YESMAN』『Girl To Love』『Happy Title』と89年6月までの26ヶ月でアルバム4枚目というハイペースでリリースを続けた。しかし、依然として一般世間的にはほとんど認知されないこの状況を「Jポップ界の盲点に君臨」と言うことで精神的に処理していたものだ。また87年9月には再び大林宣彦監督からの依頼で「大連・尾道友港都市博覧会」のための短編映画の音楽を担当。出演者、撮影クルーと共に中国・大連市へ。初の海外渡航先、大連で25歳の誕生日を迎えた。88年10月からは札幌・STVラジオの深夜放送『アタックヤング』、翌89年7月からは大阪に新しく開局したFM802で『ミュージック・ガンボ』のパーソナリティを担当、ラジオ番組の楽しさに目覚めだした。

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