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Friday Column

No.142

『写真で見る ブータン徹底ガイド その3』

先々週からのブータン旅行記、最終編です。お時間に余裕のある方はNo.141 / 142からの流れでお読みいただけるとより楽しいかと思われます。

1月6日(日)
朝はこの日もホテル内のレストランでジュースにトースト・ハム・目玉焼きの西洋風朝食をとって、2泊したホテル・ドゥックを9時半にチェックアウト。山間の道路を通って再び空港のある街・パロに戻ります。2日前に来た道をガッタゴットと引き返し、チュゾムの検問所を通りパロ・チュ(川)に沿って北上、パロの少し手前の『ボンデ』地区の水田の風景は素晴らしい、とガイドブックに書いてあったので車を停めました。西岡京治さんという日本人が1964年から29年間にわたり農業指導をしたことで、このブータン西部で米作りが盛んになったそうです。この時期は乾田でしたが、夏は水田が銀色に光り、秋は稲穂が黄金色に揺れるそうです。


また来るぜ、ティンプー
 

もうすぐチュゾムの検問所

いつものように3脚を立てて写真を撮っていると、地元のチビッコたちが物珍しそうにクスクス笑いながらこっちを見てたので、手招きして一緒に撮りました。再び車に乗りパロへ向かう山道の高いところからパロ空港が見え、ちょうど離陸しそうなところだったので「お、写真撮ろう」と車を降りると、日曜日ってこともあるんでしょうか、地元の皆さんが飛行機を見に集まってました。ブータン王国唯一のパロ空港ですから、発着するのはすべてインド・タイ・ネパール・バングラディシュとの国際線だけで、国内路線はありません。集まった人々はそんな飛行機をどのような感じで眺めるのでしょうか。ガイドのウゲンくんもインドの大学生活に戻る時は、インド側の国境の駅までバスに乗り、そこから丸3日間の大学生でいっぱいの列車の旅。飛行機にはまだ一度も乗ったことがないそうです。しかし、年間100回飛行機に乗る私だって、その離陸の瞬間は車停めて写真撮りたいわけですから、やはり夢の乗り物です。


ボンデのチビッコたちと
 

BIRD’S EYE VIEW

というわけでパロに戻ってきました。今日の昼食はレストランでではなく、一般の農家におじゃまします。「どの旅行者もみな、一般家庭を訪問しますか?」と聞くと、多くの旅行会社は家庭訪問をプランに組み込んでいますが、最近は旅行者の増加においつかず、仕方なく誰も住んでない家を旅行会社が所有し、そこに旅行者を招くという疑似イメージ家庭訪問もあるそうです。ウゲンくんは私に本当の普通の家庭の食事を体験してもらうためにと、ウゲンくんの女友達のお家に直接お願いしたとのこと。パロ谷の北東側の山を車で上がりやってきたのは、門から家までの石階段が長い、庭に牛がいる農家です。



ティンプーのウゲンくんの家と同じように、1階はお米や野菜などの倉庫で、木の階段を上がったところに入口があります。最初はさらに上階のお祈りの部屋に通されて板の間にあぐらをかきます。ウゲンくんの女友達は、同じインドの大学で勉強し、現在は冬休みでパロの実家に帰省中。日本の女子大生となんらかわりない雰囲気です。よりポップなフィーリングの妹さんは地元パロの高校に通う高校生。二人とも当たり前のように英語を話すので、私は平然の表情を装ってついてくのが必死です。ブータン式のバター茶『スジャ』を飲みながら、なんとなくの会話をしたあと、下の階の台所に呼ばれて昼食です。

中央に薪のストーブがあり、畳的にいうと8畳くらいの広さの板張り部屋のコーナーのガスコンロがある調理台でお母さんが料理を作り、日の当たる窓側におじいちゃん、その横におばあちゃんが座っています。私は言われるがまま南の窓を背に、これでいいのかどうか靴をはいた状態であぐらをかきました。まず、いかにも自家製っぽいプラスチックのボトルに入った『アラ』という小麦原料の焼酎をいただきます。感想は特になし、小麦の焼酎ということで理解しました。

そしていよいよ食事がでてきました。干した牛肉の煮もの、豚の脂と皮の煮もの、薄切り大根のおひたしのようなもの、じゃがいものチーズ煮、青唐辛子のチーズ煮。うぅぅん、どうなんでしょう、器は違えど、やはりこれまで食べてきたレストランの食事と見た目同じ雰囲気です。せっかくブータンの一般家庭におじゃましての食事ですから、当然ブータン流に“手で食べる”、と昨日から決めていたもんですからそうしてみたところ、これがどうでしょう。同じ感じの料理を食べて4日目ですが、これまでとはかなり、いやじぇんじぇん違う味わいというか、「お、これがブータン料理なのかも」と初めて認識できるっぽいというか、うん、どう書けば良いのかわかりませんが、これまでの7食のブータン料理のなかで、最もおいしいブータン料理だったことには間違いありません。「私がこの4日間で食べたなかで最もおいしいです。いやホントですよ、ホントに」と、これはお世辞ではないのだというニュアンスを一生懸命出して言いました。


 


後になっても考えましたが、やはり“手”で食べたからでしょうね、あの味わいの違いは。ガイドのウゲンくんは「レストランよりも食べやすくおいしい」と言っていましたが、私にとってはこの“手食べ”が重要だった気がします。だってそうでしょう、スプーンとフォークで“きつねうどん”食べておいしいですか? ナイフとフォークで“さんまの塩焼き”食べたらどんな味ですか? ってことだと思うんですよ。ブータン料理はブータン式に手で食べて初めて味わえるわけですよ。“オレはいろんな国に行ったことがあるんだぜ”でおなじみのグルメ系アーティストであるはずの私としたことが、なんでこんな当たり前のことに気づかなかったのか。ブータンまで来てなにをやってたんだ、ってことなんですね。いやぁ、しかし、遅かったとは言え気づいてよかったです。逆に最初っから手で食べてたら、いち早くこの感動に出会えたでしょうけど、4日目には飽きちゃってたという可能性もなきにしもアラブ首長国連邦。そういう意味では、4日目のこの一般家庭で感動できたのは、逆の逆にある反面、結果的に良かったのかもしれません。

食後の『スジャ』と一緒に、なんかの葉っぱにミントのクリームを塗ってなんかの木の実を包んで口の中で転がすやつが出てきました。みんな普通にそれを口の中にいれ、私もウゲンくんに説明されるがまま口に入れてくちゃくちゃやってみましたが、堅くて堅くて何をどうしていいのかわかりません。しかもけっこうデカイのでお茶も飲めないし、と困っていたら「捨ててかまいませんよ」と私の後ろ窓下の牛がいる庭を指すので、ごめんなさいね、とそうしました。あれはなんだったんだろうなぁ。とまぁそんなこんなで、皆さんに「シンベ、カディンチェ=おいしい、ありがとう」と繰り返し、おいしい昼食をいただいた農家を後にしました。姉妹の名前はちゃんと聞いたんですけどね、忘れちゃったんですよ。手で食べてたからメモもできなかったし。それがちょっと心残りです。


バター茶『スジャ』と不思議な木の実
 

さよならポップな妹ちゃん

車で街に戻ります。犬がごろごろ昼寝してます。旅行先では特には買い物はしないのが基本の私ですが、今回はやはりこれだけ街中でいろいろ見ちゃった以上、買わないわけにはいかないだろうという気持ちになりました。そうです、民族衣裳『ゴ』です。商店街の店を3軒ほどまわり、ウゲンくんの助言を受けながら数着試着して、ひとつ買ってきました。かなりイイ感じです。いつか何らかのかたちでお見せできればと思っています。


犬だって日曜日
 

この店で『ゴ』を買った

一旦ホテルにチェックイン。その昔はパロの行政官の住居だった建物を改装した高台のホテル『ガンテ・パレス』、ここは特別にステキでした。街を見下ろす広い庭があり、見た目はブータンの小古城です。フロントでチェックインをしていると、まだ10代かなと思われるニコニコした女性従業員が、私の20キロ以上はあるトランクを「おっしゃ!」と肩に担いで階段を駆け上がっていきました。赤い土壁に民族的か宗教的な古めかしい装飾がなされた高楼(ウツェ)の木の急な階段を登った最上階(3階)の部屋は適度に広く素晴らしい空間です。ブータン旅行最終日ということで事前に追加料金を払ってリクエストしていた部屋は期待以上でした。大きなベッドに、普通のソファ、鏡台、ランプ。部屋には電話もテレビもありません。2方向に複数並ぶブータン独特の形の窓から眺めるパロの景色、それだけで充分なのです。そして、・・・・・寒い。もちろん予想はしてたんですけどね。冬のパロの外気温は東京よりちょっと寒いくらいなんですが、建物の構造的なことからでしょうか、この部屋、外より寒い、そんな感じです。電気ヒーターは2台。しかし、これでこの広さを温めるのは何時間かかっても無理です。フロントに降りて「もう一台ヒーターを」とお願いして持って来てもらいましたが、コンセントのプラグの大きさが合わず、アダプターもないってことで、「じゃぁ仕方ないですね、ありがとう」ということになりました。ブータン式石風呂『ドツォ』があるってことで18時に予約し、それまでは単独行動。再び街におりてプラプラします。


最高のロケーション
 

簡素で上品な内装

民族衣裳『ゴ』も買ったし、もうなんの目的もなく、ただなんとなく写真を撮って、できるだけ街の人に話しかけてみる、そんな感じです。野菜市場をのぞいて、おみやげ屋さんをのぞいて、おっ、ここでも、盤の四隅のポケットに球を弾いて落とすあのゲーム、あちこちでやってます。オセロよりもちょいデカイくらいのトークン型の球を決められたラインの外側から指で弾き、相手の球をすべて落としたほうが勝ち。しばらく見ているとそのような感じでした。1時間ほどただただプラプラ街を歩いたらもうあきちゃったので、畑の中の1本道を通って緩い山道をぐる〜っとまわって15分、ホテルまで歩いて帰ります。


週末のみ開かれる野菜市場
 

ゲームはだいたい商店の前にある

さ、ブータン式石風呂『ドツォ』です。フロントに英語で『Stone Bath』と書いてあったので石風呂と書きましたが、石でできた風呂ではありません。木製の風呂桶が1:3に仕切られていて、1のほうに焚火で真っ赤に焼いた石をジュォワァァァァ〜〜っと入れて湯を沸かすというもの。その石を焼かなきゃなんないんで予約が必要だったというわけです。本来は露天で楽しむものらしいんですが、このホテルでは木造の小屋の中にありました。バスローブに着がえて裏庭のドツォ小屋に行くと、木の浴槽が4つ並び、ろうそくが1本のほぼ真っ暗な中、“待ってました”という感じで4人の男性が立ち上がりました。さっそくスッポンポンになって右足を入れてみると、おひゃっ、上部は熱いんですが、底がまだ水です。「Upper hot, Bottom Cold」と言うと、「お、そうかい、がってんだぁ」みたいな感じで、3人が順繰り順繰りに奥の焼き場からでっかいペンチみたいなやつで真っ赤に焼けた石を運んで来てはジョヴァァァァァァ〜っと湯に沈め、ひとりがお湯をがんがんかきまわします。私はそれを見ながら2〜3分ガタガタガタガタ震えて待ちます。ようやく適温になったようなので入りました。うぅぅぅん・・・・、まぁ、お風呂ですから、私たち日本人にとっては普通のことですからね、特にこれといった感想はないっちゃぁないです。どっちかっつうとスゴイ音を発しながら次々と湯に沈められる焼け石を、震えながら見てたことのほうが印象的体験でした。


三脚セルフ撮影の腕の見せどころ

ブータン旅行最後の夕食は、パロ商店街のレストラン『ソナム・トロフェル』。豚の脂と野菜の炒め物、炒め中華麺、モモ(チベット餃子)、そしてやっぱり青唐辛子のチーズ煮。正直飽きてきていた感じのブータン料理ですが、最後だと思うとちゃんと憶えておこうという気持ちになります。ガイドのウゲンくんと食事をするのは2日目の夜を除いて7度目。ウゲンくんはとても礼儀正しく知性的な青年で、それまではブータンと日本の文化や風習の違い、そんなあたりを基本に会話していましたが、最後の晩はちょっとつっこんでみました。「ガールフレンドはいますか?」「ガールフレンドはいませんが、フィアンセはいます」と小さい写真を見せてくれたりもしました。レストランを出て車に乗ろうとした時、たまたま通りかかった同世代の女の子2人に「あら、ポコ!」と声をかけられてました。友達からは“ポコ”というニックネームで呼ばれているそうです。“ポコ”とは「cover」という意味だといってましたが、なぜそういうあだ名なのかは聞きませんでした。



ホテルに帰ったら、もうわかりきってるししょうがないんですけど、やはりとっても寒かったです。アダプターがみつかったのか3台目の電気ヒーターもつけてあり、それはそれはありがたい、と思ったんですが、やはり効果はほとんど感じられません。モモヒキはいて靴下はいてジャージを上下着てその上からパジャマ着て首にタオルまいて背中にホカロンを張ってさらにバスロープ着て、ヒーターの近くに椅子を持ってって、寝酒用にレストランで買ってきたブータンビールを飲みました。いつまでも寒がっててもしょうがないし、「よし、寝よう」と気合いを入れてベッドの布団をめくったら・・・、そこには、ゴム製の“ゆたんぽ”がおいてありました。

いやぁ・・・、なんて言うんでしょう・・・、なんか自分がすごくカッコワルイというか、今日このホテルだけじゃなく、昨日もおといもその前の日も、「寒い寒い」と言い続けてた自分が恥ずかしいというか。3台目のヒーターもトランクを担いだあの娘が肩に担いで階段上がって持って来てくれたんだろうし、それでもまだ寒いかもと“ゆたんぽ”を入れてくれてたんだ、と思うとね、異文化体験を期待してブータンに来ていながら、オールシーズン24時間温度制御可能な社会で暮らす感覚を持ち込んで同様の環境を相手に要求ようとしていた自分が、なんかすごいカッコワルイというか、そんななさけな〜い気持ちになりましてね。バスローブ脱いでホカロンはずして、“ゆたんぽ”を足枕にして寝ました。なんかいちばんぐっすり眠れたような気がします。



■1月7日(月)
お昼の飛行機でブータンを発ち、復路経由地タイ・バンコクに向かいます。最後ということでウゲンくんと一緒にホテルのレストランで西洋風朝食をとり、空港に行く前に『西岡チョルテン』を見ることにしました。農業技術指導者として国王から“ダショー”という称号を授与されただけでなく、きっと日本人とブータン人の友好・信頼の基礎となったであろう故・西岡京治さんを記念して建てられた仏塔『西岡チョルテン』に、挨拶くらいしておかないと筋が通らないだろう、という気持ちになったので、行きました。


ボンデの山にある西岡チョルテン

予定どおりお昼前にパロ空港に到着。「また必ずブータンに来てください」「ええ、必ず」と4日間お世話になったウゲンくんと握手を交わして別れました。思えば、旅行者にとってはこのガイドさん自身がその国の印象、つまりウゲンくん自身が私のとってのブータン人の印象になるわけですから、たいへんな役目じゃん、と思います。そして私のブータン人の印象は“控えめで知的で紳士的”でした。帰路タイ・バンコクに2泊して東京に戻ったら、ウゲンくんからメールが来てたので、すぐに返信しました。今はインドの大学で寮生活を送っているようです。時々このサイトの写真も見てくれてるんじゃないかと思います。


‘Ugyen’ is the best guide I know in Bhutan.
 

また来るぜ、ブータン!

ブータン旅行記、いかがでしたでしょうか。ほんの4日間を3週間かけて書いても書き足りないくらい私にとって印象深い旅行でした。もしこれを機会に興味を持った方がいらっしゃったとすれば私にとっては充分です。

それはそれでいいとして、そんな私は3週間以上も前の旅行の話をひっぱってる場合ではないのです。そうですよ、明後日2月3日はバンドツアー【NO IDEA】初日『横浜ブリッツ』じゃぁないですか。というわけで、そのことで頭もなんもかんもいっぱいのこの2週間、そして昨日の最終リハーサルが終了しました。そんなこんなで今日のコラムアップもえらく遅くなってすみません。さぁ、バンドでのツアーです。私にとって最も楽しい季節が始まります。リハーサル終了後、四方を鍵盤と機材で囲んだ要塞でしつこく練習する矢代さんの“キーボードクレムリン”の中にみんなでムリヤリ入り込んで1枚撮りました。今年もこのメンバーで登場します。会場でお会いできるのを楽しみにしています。


左から矢代恒彦(K)、清水淳(D)、私(P)、中野豊(G)、西嶋正巳(B)

2008/02/01



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